ベストを尽くすは苦か楽か?
いつもこのことを考えてしまう。ベストを尽くす、今に、自分を全機させる。一生懸命やる。それは、清々しい気持ちを得る、人事を尽くして天命を待つと言う意味で、「楽」とカテゴライズしたいところである。
一方で、そんなベストを尽くして苦労しなくても、まあ8割の力で、そつなくこなせばいいやとか、自分にとってそんなに利をもたらすものでもないし、適当にやればいいとか、思うことも多いと思う。
その場合は、「ベストを尽くす」はどちらかと言えば煩わしいことであり、優先度を理由に、後回しにしたり、やらなかったりすることも多い。
では逆に、優先度の低いこと、あまりやりたくないことは、ベストを尽くさなくてもいいのか? という命題にぶち当たる。
もっと言えば、なぜやるのか?やることに意味があるのか、やった結果に価値があるのか?やった結果の価値は、やる前からわかっているのか?など考える。
やった結果の価値はやる前ではわからないので、やってみるが正しくて、そうするとやること自身に意味があるということになる。だからやってみよう、ベストを尽くそうということだろう。
人生は、やった結果の価値を集めることではなく、やること(プロセス)に人生の意味があるとしたら、一生懸命やることに価値がある。
「犀(さい)の角のようにただ独り進め」というお釈迦さまの言葉がある。そのような心持ちを持てるようになりたい。