シンプルに生きる
植物のように生きることには我慢が足りないと思うが、でもシンプルに生きることによって、自分のやっていることの意義がダイレクトに伝わるような生き方ができると思う。
逆にいえば、現代は「自分のやっていることが、やるべきことである」と単純に言えない世界となっている・・・と思う。
子供の時、今学校でやっている勉強は将来なにに役に立つだろう?と思った人は多いと思う。
サラリーマンとして自分のやっている仕事が、お金をそこそこ稼げること以外なんの意味があるのだろう?と思っている人もおおいのではないか?まあ、会社の一つの歯車として役に立っていることくらいは分かるだろうが、その歯車が会社の持続にどう貢献しているか、明確に言える人は少ないのではないか?
要は、世の中は複雑化し、細かく役割分担されている、また大きな富や資源を共有して使っているために、自分自身の存在の意義をダイレクトに感じ取ることが難しくなっていると思う。
原始人はどうだろうか?生きる目的は単純、食べる、寝る、子孫を残す、基本的欲求を満たすことであり、それにダイレクトに影響することが行動規範になる。例えば、狩で獲物を捕るために早起きをするとか、お腹が空いたから、木の実をとるとか。無論それで全く結果が芳しくなくひもじい想いをすることもあるけれど、シンプルで目的と手段が明快である。
現代人もたまにはシンプルに生きることで、本来の生きるバイタリティとか、やればすぐに結果が返る喜びを再発見すべきだと思う。
だからキャンプやハイキングへ行こう!
キャンプは食べる・寝るという基本的な目的を、工夫して実現することによって生きる喜びを再認識できる。
ハイキングは人生のように確実に一歩一歩歩き山に登ることで、達成感がダイレクトに味わうことができる、本当の人生ではなかなか味わえない疑似体験である。