同質を求め、異質を認める
自他をひとつに考える。それは、自分=主体と他=客体をひとつに考えることだ。正確には、自分から抜け出ないとそれは出来ないが、自分も自分の外にあるとできるだけ考える(自分を客観視する)ことによって、ほぼそれはできるであろう。
自他に、同質なものと異質なものがあることも、前に書いた。
同質なものが多くなれば、当然自他の垣根は小さくなる。チームを考えれば、同じ考えをチーム内で持つことで、チームの結束は固くなり、チームワークが良くなる。
一方で、異質なものを上手く組み合わせることができれば、昨今言われるダイバーシティインクルージョンが実現され、様々な個性を発揮する良いチームになる。
だから同質は求め合い、異質は認め合えば自他はひとつになれると言える。
よくよく付き合ってみると、異質の奥に、同質が潜んでいた、なんてことはよくある。異質を認め合えば、融合して同質になる。それはナイフの刃と柄は異質であるが、その機能を認め合って接合することで、どこの部分をとっても、ナイフという機能に融合することと同じではないか。
反対に、一見同質、仲間のように思っても、実は異質なものがあったということもある。それは、多様性を認めるということで、解決することになる。
ナーガールジュナは中論にてこう言っている。燃えている薪をみて、それはどこまで薪でどこまで火かは区別ができない。燃えている薪という一つであるから、火がついている。薪の部分がなくなっても火は消えてしまうし、火が小さくなっても、火は消えてしまう。全てのものは「燃えている薪」のようにひとつで、かつ刻々に変化するものである。
自分と他(モノ、人)が、異質性を認め合い、同質性を求め合ううことでひとつになることができると思う。人間同士であれば、チームワークを深めることに繋がる。