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暇な時間父に思いを馳せる
やっと連絡が来た。面接日は週末。
これで心置きなくのんびりできる😂
誰に何を言われるわけではない。
だけど今まで母親としていち社会人として
転職は繰り返したにしても
働いてはきたからちょっとバツが悪いのよ。
いえ、もうそーゆーのは大分手放している。
はずだけど、、、そうでもないのか、、、
出ては手放して出ては手放してを繰り返し
全肯定の練習をしているところか。
今は息子も無職中で(息子はフリーター)
二人して好きなだけ寝てればいいじゃんって
笑い合っている。
とんでも親子。
でも二人が良ければそれで良いのだから。
こんな日がやってくるなんて🥹
思えば父がいた頃は最悪だった。
昭和脳だもの家に居るって事は許されない。
たとえそれが病気中でも怒鳴られるのだ。
これは後になって考えると
私が動けない状況に父は不安と恐怖を
感じていたのかもしれない。
一緒に住んでいたわけではなかったけど
毎日の夕ご飯を皆で食べていて
父の存在はもの凄く重かった。
幸せになってはいけないような
かと言って悲しんでいてもいけない。
マジで苦しかった😢
父の重苦しいエネルギーを家族皆が
浴びていたのだ。
昔、父について母が言ったことに
「お酒でも飲んでもう少し朗らかに
なれないのか」と。
ホントにね、、、
父の幼少期貧乏で厳しく育ったというのは
聞いたことがあるが
私はそこまで貧乏な中では育っていない。
父は十分に家族を養ってくれていた。
それでも重苦しい生き方しかできなかったのは
自分を肯定する事ができなかった?
祖母もそういう人だったから
(祖母の前で笑うと怒られた)
そーゆー人が103歳まで生きていたわけで
父にとって祖母のいなかった時間は
たったの2年
生き方を変えるチャンスなんてなかったか。
結局最後の最後まで
重苦しいエネルギーのままだった。
父の姉弟(3人姉弟)は父よりは重くないが
それでも皆独特の重さを感じる。
やはり育った環境なのだなぁと思える。
祖母が亡くなり2年後に父が亡くなった。
そしてその半年後に伯母が亡くなる。
この3人は深く繋がっていたように思う。
きっとずーっと縛り合ってきたのだろう。
叔父だけは憎しみと怒りの中にはいても
自分の欲求のままにいたので比較的自由に
生きられていると思う。次男の特権か!?😂
何はともあれ私たちは自由になった。
まだ慣れてないけど
この開放感ったらたまらない。
私もそうだけど息子の精神状態は
本当に軽くなった。
大学を中退してからの3、4年間は
死んでしまうんじゃないかと
不安になったこともあったから。
今思うと私も息子もこの一連の流れを
経験したかったのだな〜と。
父もまたそうだったのだ😌
だから3次元地球生活の醍醐味?を
目一杯楽しんだとも言える。
きっと今頃はかる〜くなって、なり過ぎて
思いっきり笑ってる。
そう信じてる。
私は父より軽く生きるけど
いつかその時が来たら
お土産話をたくさん持っていくから
待っていてほしい。