よきパートナーと愛する人々
自由気まま〜に生きていると見せかけて
実は共同生活における気遣いのある猫ちゃん。
気遣いではなく心のまま
なんだろうけどこれが尊い😌
行ってらっしゃいのお見送り
お帰りなさいのお出迎え
好き好き遊んでのストーカー
深夜の寄り添い
目を細め、めちゃめちゃ悪人顔を
しながら寄り添ってくれる。
いやそんな顔してまで来なくていいよと
思うくらい😂でも嬉しすぎる。
静かにお留守番ができるしトイレも上手。
出された食事に文句を言わないし
食事が出るまでだって静かに待ってくれる。
呼べば顔を見せるけど、それだけ。
やたらとべたべたしない。
愛嬌を振り撒いてくれるし甘え上手である。
猫ってそんなもの?
なんにせよ、猫ちゃんとの生活は
今までにはない豊かさがある。
いつでも愛でられる存在で
なんの遠慮もないが
尊重できるよきパートナーなのだ。
でもこれって人間の勝手な思いよな〜と。
本当なら家の外で自由に
暮らしていたかもしれない
そして親や兄弟、仲間と
戯れあっていたかもしれない。
そういう事を思うと申し訳ない。
大好きなブロガーさんがホ・オポノポノの
ありがとう
ごめんなさい
許して下さい
愛しています
について書いていたけど
まさにこれ。
全部当てはまる🥺🥺🥺
そして猫ちゃんだけではない。
周りにいる家族や親戚やご近所さん
過去も含めて私に関わる全ての方
もちろん今となっては関わっていない元夫も
確かに、皆んなの顔を思い浮かべると
こんな私でごめんなさいと思える。
許して欲しいし感謝の気持ちにもなる。
自分に何かできる事はないか?とも思う。
それが愛をおくるということなのか。
ごめんなさい、許して下さいには
ちょっと抵抗があったのは確か。
だってマインドが下がりそうよ?
ありがとう、愛していますも
素敵な言葉だから唱えるとか
そんな単純なことではなかったんだ。
心から湧き出てる言葉なんだ。
猫ちゃんが幸せであるよう
皆んなが幸せであるよう
そして一緒に幸せであるよう
愛してる♡なんだ😌
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