意外な参拝タブー 神社の神様が怒っていた話
おはよう。スピリチュアルネイティブのタケルです。
昨日、とある神社に行ってきて、ちょっと気になったことがあるので書いてみる。
そこはなかなか田舎の、山際にある神社だった。前々からモモと二人で行きたかった場所なので、俺たちはドライブがてら訪れた。
境内は美しく紅葉して、こんな山の中なのに、参拝客でいっぱいだった。
女性の神様が祀られているせいか、どことなく雰囲気もフェミニンだ。
すると本殿の方をみて、モモが言った。
「ちょっと神様は元気ないかも。お話聞いてあげたほうが良さそう」
俺たちが本殿へ近づくと、ちょうど太鼓の音がした。
よくみると、本殿の中には二十人程度の団体客がいて、御祈祷が始まるところだった。
ひとまず、彼らの邪魔にならない程度に、静かに手を合わせ、俺は神様にお声がけをした。
………。
ん?
神様の気配はしっかりあるし、エネルギーも強い。なのに、まるで心を閉ざしたみたいに、分厚い壁を感じる。扉が閉まっている、みたいな。
そのせいか、どうも神様の声が届いてこない。
俺は、てっきり嫌われてるのかなーとか、相性が合わないのかなとか思いながら、ひとまずその場を離れた。
「全然ダメだわ。なんか、心を開いてもらえない。どうしたんだろう」
「うーん。そうだね、神様、オーラで見ると、なんかほんと縮こまった感じ」
「何が原因なんだろうなあ」
そうぼやきながら、もう一度参道の方へ戻ると、不意に雲間から光が差した。
その瞬間、"もう一度"と、声が頭の中に響いた。
「俺、もう一回本殿行ってくる。モモは、神様のこと見てて」
「らじゃー」
そう言って、俺は再び参拝を試みた。神様は、何か言いたいことがある気がしたから。
すると、ちょうどその時、さっきまでのご祈祷が終わったらしく、ゾロゾロと団体が出てきたので、俺は傍に避けた。
そして、空っぽになった本殿で手を合わせた途端、スルスルスル〜っと神様の気が入ってきた。そして、なぜさっきまで神様が心を閉ざしていたのか、その理由が明らかになった。
神さんが門を閉ざしていた理由とは
神さんは、開口一番こう言った。
「最近はおかしな参拝客が増えています。彼らは熱心な面持ちでやってきますが、なぜだか心を閉ざしている。だから私も門を閉ざさねばならなかった」
俺は、もしかしてさっきまでの祈祷客のことを言ってるのか?と思って、思わず振り返った。ぱっと見、フツーの一般人だけど。
「彼らは私のことを見ていない。彼らが見ているのは、"他人を通して理想化された、神の姿"です。彼らは、自分の利益しか考えていない。そして、自分には神の声は聞こえないと思い込んで、初めから聞く耳を持たない」
「つまり、心を開いてないっていうのは、相手を見ていないってこと。自分には聴こえないと思い込むのは、本当は心を開いてないからだってこと?」
「はい」
俺は、つい、自分にもそんなところがあるかもなあ、と思った。例えば怖い上司の前だと、なんだか恐縮してしまって、うまく目を見られないし、心を開いて会話をするにはアルコールがいる。しかし一方で、神さんの方に、「本当の自分を、その目でしっかり見てほしい。感じて、聞いて欲しい」という切実な気持ちがあるのを感じていた。
神気に微かな震えがある。
「寂しいね。『神様神様』って寄ってくる人の目の中にあるのが、自分の姿じゃなくって、ただ願いを叶えてくれる存在、みたいなものだったら……そういうの、しんどいね。
ただ、心を開くって、本当の自分を曝け出すことでもある。なかなか、誰にとっても難しいものだと思います。だけどそんなことがあまりに続いたら、神様だって門を閉ざしたくなりますよね。
神様も気がついて欲しいんですよね。心を閉ざす相手には、神様だって閉ざすんだって。
だって、閉ざされた相手に心を開き続けるのは、とても痛いことだから」
そう応えると、神気がにわかに和らいだ。俺は、その後もしばらく神さんと話を続けた。
参拝後、本殿をじっと見ていたモモが言った。
「なんか、タケちゃんが手を合わせたあたりから、神気が大きくなったよ。今は結構元気だね。何話したの」
「ああ、それは俺がってだけじゃなくって、どうもさっきの団体客が……」
俺もまたベンチに腰掛け、わけを話そうとした。するとちょうど背後から、さっきの団体客らが輪になって話しているのに気がついた。自然と、主催者らしき人物の声が聞こえてきた。
「皆さんは、今日この日、この神さまのもとに呼ばれた重要な人物であると、先ほど祈祷中に神様からメッセージがありました」
俺は思わず背中で聞いてしまった。それでやっと気がついた。これ、チャネリング系の神社ツアーか。
以前、スピ系の人たちが、チャネリングができる人と一緒に神社ツアーをして、神様から特別にメッセージを受け取る、みたいなことをしているのをブログで目にしたことがある。
俺はそれを見て、なぜ自分一人で神さんの前に立つのを恐れるんだろう。なぜ自分で神さんの言いたいことを受け取らないんだ??と首を傾げていた。
「自分にはできないって思い込んでるんじゃない? 聴こえるのは特殊能力だと思ってるのかも」
「でも本来は誰だって話せるはずだよ。話せないって思い込んで、神さんに心を開くこともしないで、要は本当の自分を見つめる勇気がないだけだろ」
神さんと話すには、そこが1番需要だ。本当の自分をありのまま見つめる勇気がなければ、神さんをありのまま見つめることはできない。ましてや、神さんのいう話をまっすぐ受け取ることは叶わない。
「おまけにあの主催者、ちゃんと神さんの言ってることキャッチできてないよ。神さん、完全に怒ってた。その怒ってるのがキャッチできないのは、"本当はどこかで怒っている自分の内面を無視しているから"だろ。知らんけど。
つまりさ、キャッチできる能力があるとかないとかじゃないんだよ。心を開けるかどうかだ」
俺は少しため息をついて、そそくさとその場をモモと後にした。
チャネリング系神社ツアーそのものが悪いとも思わないけど…
ちなみにご祈祷中に参拝したからといって、神様とやりとりできない状態になるなんてことはない。例えば七五三とか新年の企業団体の祈祷とか、どんなに人数が多かったり物々しくても、神様が門を閉ざしている、なんてことなかったと思う。
だから、これはちょっと深刻だなあと俺は思った。つまり、純粋な願い、健康祈願とか家内安全とか、商売繁盛とかを願う人たちより、一見、神様に熱心で、けどその実、「自分には神様の声が聞こえないから、代わりに誰かに聞いてもらおう」という態度で心を閉ざしてる人間のほうが、神様にとっては悲しい存在だってこと。
けどツアーにわざわざ参加するような人たちは、なんならすごく善意のつもりでいると思う。なんだかやっかいな話だ。
別にチャネ系神社ツアーが悪いとは思わない。きっと素敵な団体もあるんだろうし。要するに、神さまの前にどんな態度で立つかって話だ。
ただ、善なるつもりの行為でも、心を閉ざしている限り、著しく人や神を貶める可能性があることに、少しでも気を向けてくれる人が増えたらいいなと思って、この記事を書きました。
神様にも心があり、感情がある。時には、神様に対して、「もし神様が自分だったら? 同じ人間だったら?」と置き換えて考えてみるのも大事なんじゃないかな。
読んでくれてありがとう。