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義母の謝罪は受け入れません

私たち夫婦に子どもはいない。
原因不明の疾患で夫が精子をつくることができないからだ。

それを聞いたときは衝撃だった。
しかも、2回目のデートで伝えてきたのだ。
まだ付き合っていないのに。まだ愛の告白もされていないのに。展開が早すぎないか。
もっとなんかこうあたためたり、育んだりしなくていいのか。

動揺する私に「付き合ってから言うのは、後出しじゃんけんみたいで嫌だったんだよね」
と、夫は真面目な顔で言ってきた。

残念なことに私は子どもが好きだった。
保育園の前を通ると、その存在が愛おしすぎて自然に目じりが下がった。
まだ見ぬ我が子の名前を考えたり、ママーと走り寄ってくる姿を想像したりして、にやにやすることもあった。私は子どもに囲まれる生活を夢見ていたのだ。

だから夫と付き合うのは無理だなと思った。しかし、気が付いたら「付き合ってください」という彼の告白にYESと返事をしていた。

夫といると安心できたのだ。その安心感は私の人生で得たことがないものだった。

私の両親は仲が悪かった。
巷でよく聞く「うちの親、仲が悪くてさ」の典型だったが、父がリストラされ、借金をこさえてからは、その典型から少しずつはみ出していき、激しさが増した。
サラ金から電話がかかってきたり、借金取りが家に来たりして、家の雰囲気は険悪になった。サラ金さえも金を貸してくれなくなってからは、父は私たちに内緒で、私の幼馴染の家へ金を借りにいくようになった。もう無理だ。限界だ。母は泣き叫び、私は怒り狂った。次はどんなふうに裏切られるのだろう。そんな日常が当たり前だった。

しかし、夫と過ごすそれは全く違った。
借金もなければ、嘘もない。あるのは、平穏な日々と、彼の優しさだった。

夫は電話を切るときに、いつも私が切るまで待っていてくれていたのだが、この世界に、そういう種類の優しさがあることを、私はこのとき初めて知った。サラ金の電話は相手がいつも電話をたたき切っていたから。

何年付き合っても、どれだけ一緒にいても、夫の優しさは変わることはなかった。
私はそれにかけてみることにした。

結婚式は神前式だったので、健やかなるときも、病めるときも、子どもができないときも、一緒にいることを神様の前で誓いあったわけではなかったが、彼がいればなんとかなるような気がした。なんともならなかったら、私が力ずくでなんとかしようと思っていた。私にはそういうところがある。

夫の家族は、私をあたたかく迎えいれてくれた。
誰も口には出さなかったが、子どもができないことを家族全員が知っていたからかもしれない。特に義母は寛大だった。

世間では、義母と嫁の確執がおもしろおかしく取りざたされているが、我が家はそれとは無縁だった。
長男の嫁だけど何もしなくていいからね、という義母の言葉を鵜呑みにし、私が義実家のソファーでごろごろしていても、近くにあった豪華なグランドピアノでねこふんじゃったを弾いても、義母は笑って許してくれた。義母手作りのごはんをおかわりしたら喜んでくれた。帰るときはそれをお土産に持たせてくれた。またいつでも来てねと私たちの姿が見えなくなるまで手を振ってくれた。その裏に隠された想いがあったなんて。

結婚して1年が経ったころ、夫を通して、義母から謝罪をしたいと言われた。
子どもができないことを謝りたいというのだ。

そういえば、初めて会った時、義母は体が折れてしまいそうなほど、深々と私に頭を下げていた。なんて丁寧な人なのだろうと驚いていたのだが、あれは、ごめんなさいという意味だったのか。謝らなくていいのに。

私は義母の謝罪を受け入れなかった。

夫に精子がないのは義母のせいではないからだ。
何かが足りなかったからとか、怠ったからではない。
原因不明なのだ。誰のせいでもない。
だったらもうお手上げだね。仕方ないよね。
そういうこともあるんだね。びっくりだね。
と、蹴り飛ばしてやりたかった。

義母がもう誰にも謝らなくていいように。

それに夫と結婚して私は変わった。

顔つきが、しぐさが、発言が、怒りからやわらかいものへと変貌した。会う人会う人に、まるくなったねと言われた。笑うことが多くなった。安心して夜を迎えられるようになった。電話の着信音を怖がらなくなった。黒い服ばかり着なくなった。自分でもそのことが嬉しかった。

夫は私が抱えていた途方もない怒りを一枚一枚丁寧にはがしてくれたのだ。
それは目を瞑りながら針に糸を通すくらい根気のいる作業だったに違いない。しかし、2回目のデートで子どもができないと打ち明けたときと同じような真面目さで、夫は私と向き合い続けた。
こういうことが自然にできるのは、こういうことを誰からやってもらった人間だけだ。
夫は両親からもらったのだろう。抱えきれないほどの愛情を。

私は義母の謝罪を受け入れなかった。
でも、ありがとうは伝えたい。

あなたの息子さんと結婚して幸せです
と面と向かって伝えてあげたい。



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