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『【ナゼ】「きょうは何億稼ごうか」札束にフェラーリ…「年収1千万のレールに乗れる」実行役を募集か 逮捕された“トクリュウ”リーダーが狙った古典的犯罪「点検商法」の手口と増加のワケ』について考える

この手の事件よくありますね 最近
一攫千金でこんなに稼いだんだぜっていう事例
昔もありました いました こういう人
若い頃は うらやましいなあって思ったこともあります

でも

この年になって思うんですが

人生トータルでいったら

地道に生きてた人間より不幸になりますよ こういう人

そういうふうにできてるんですから 世の中

これ

「幸せの総量規制」

っていうんですよw

人の一生の中で
ひとりの人が感じる幸せってのは
みんなだいたいおんなじなんです

若い頃良かった人は よっぽど気をつけないと
晩年不幸になる
若い頃苦労した人も 年を取って
あの頃がんばってよかったなあって思える
そういうもんなんですよ

ただし それは
「財」の総量規制ではありません
「財」だけなら 規制を突破することもあるでしょう
このトクリュウのお兄さんみたいに
悪いことやって大金つかむ人だっているでしょう
でもね
人は
「財」で幸せにはなれないんですよ
これ
お金と言い換えてもいいですよね

幸せの総量 イコール お金の総量

ではない
お金で人は幸せにはなれない
そういう意味です

たとえば記事のトクリュウリーダーですか?
このお兄さん

すごい高い車にのって
ものすごい高級腕時計はめて
タワーマンションに住んでる?
「財」でいえば満点ですよ

でもね

軽自動車にのって
安いスマートウォッチはめて
アパートに住んでる人
と大して変わらないんですよ

だって いくら高級車だって
タイヤは四つ ハンドルは一つ
出せるスピードは公道50キロ 高速100キロですからね
安い時計だって時間は狂わないでしょ?
住むところだって雨風がしのげて
安眠できればどこだって似たようなもんですよ

「財」をグレードアップしたところで
幸せにはなれない
問題はそこじゃない
幸せってのは まったく精神的なものなんですよ

ジェームス・ディーン主演の映画「ジャイアンツ」でも
そうでしたよね
大富豪になっても 孤独は孤独 不幸は不幸
他にも小説や映画 ドラマで
もう書き尽くされている 描き尽くされている
古い古いテーマなんです
結論は出てるんですよ

なのに

人は「財」に目を奪われる
「財」の総量が幸せの総量だと勘違いする

「財」に目を奪われては 人生踏み誤ります

たとえ 無一文で 社会的な地位がなくても
なんかあの人面白いなあ
あの人と一緒にいると居心地がいい
なんか 楽しくなる
なんか 魅力があるんだよな

そういう人なら
「幸せの総量規制」だって突破できるかもしれません

 自分がそういう人なのか
 そういう人になれるのかどうか知りたければ
 無一文になってみればよろしいw
 社会的な地位を捨ててみればよろしい

 それでも
 離れない友達がいますか?

 それでも
 逃げない配偶者がいますか?

 それでも
 尊敬してくれる子ども達がいますか?



 

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