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ギターを売った話

子供の頃、水族館に浮かぶ魚たちを見て、可哀そうだなぁと思った事がある。エサも、生活する上での自由も与えられた上で、しかしながら彼らは(おそらく)一生海に出ることなくその命を終えるのだ。これでは文字通り飼い殺しじゃないか、と僕はペットや鑑賞用の動物を見る度に思う。

これは人間界にも言える事だ。価値観という名の檻に一生囚われたまま死んで行く。民主主義や学歴社会の枠組みに囚われ(過ぎ)ている人々は、愚かだ。自分は差別主義者では無くて、年収1000万で、美人の奥さんがいて、犬を飼っていて、、、と言った主張に人生を賭する程の意味が有って?そういえば、死んだ後も棺桶に入るね。

、とまあこのような思考を持つという意味では、確かに僕は比較的ユニークな方であろう。が、ユニークであるというのは、単に同質性により定義された異質性を持つ、という意味でしかない。つまり、新しい価値を創造できるという事とイコールでは無く、そこが自称ユニークにカンチガイされがちな点である。

例えば、僕は、ベーシストでもある。歴で言えば、7年くらいの、中の中くらいの演奏者だ。作曲をしていて、気付かされたのは、自分の作り出すものは自分の影響を受けたもののツギハギでしかないという事だ。センスの有無では無く、ああ、自分の生き方ってこうなんだなぁ、と何となく理解してしまった瞬間が有った。

[この「生き方」は、ポップカルチャーの生産者としてはむしろ重宝されるかもしれない、という話はまた追ってしたいと思う。]

もちろん規範を超えて新しいモノを生み出す人々は居る。人類の進化の先導者達である。でも自分は、その端くれでさえなかった事を音楽を通して認識させられたのである。故に、僕は作曲用のギターを売った。音楽は続けるかもしれないし、辞めるかもしれないけれど、そのスケールとは別の所で、僕の情熱は燃え尽きた。

自分は、目の前にガラスの壁があることを知りながら、しかしそれを壊す性能は持ち合わせていないのである。あの魚は、今日も水槽の中を孤独に泳いでいるのだろうか。

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