見出し画像

就活における「決まりごと」の意味

先日の専門学校の講座を通じて、

私なりの

「就活における着こなしやマナーについての意味」

について考えてみました。


世間では最近、

・就活における身だしなみが没個性的だ

・そもそも就活が形式的なものばかりで堅苦しい

などなど、声を聞くことがあります。

そこについては私も共感できるところがあります。

たしかに少し煩わしさを感じるでしょう。

特に学生のようにきまった規則がない立場であればなおさら。


しかし、では、そもそもなぜそう思われてしまうのか?

私はそこを考えました。

ここが明確にならないと

想いが乗らずに伝わらないと思ったからです。



身だしなみやマナー=「決まりごと」という固定観念

そもそもの前提を考えてみたのですが、

単に就活での身だしなみやマナーが、

ただの「決まりごと」とだけしか

捉えられていていないのではないかと。


もっというと、

なぜ身だしなみやマナーが大事なのかを

考えさせてられているものでなくなっているのではないか?

と思っています。


就活とは自分が将来入社する会社を

決めることであるのかと思いますが、

私はその過程にも意味があると思っています。


・どうすれば相手に自分の気持ちを伝えることができるのか?

・書面と口頭では全然伝わり方が違う、工夫しないと。

・社会人を相手にする会話ってどんな感じなんだろう?

・もっと目上の人との会話ってどんな感じ?

学生生活では普段意識しないことを、

就活を通じて考えさせられる機会はとても多いです。


身だしなみやマナーもそう。

・なぜ清潔感のある身だしなみが必要なのか?

・なぜ礼儀正しい振る舞いや言葉遣いが必要なのか?

それを考えさせる側面も就活にはあるのかなと。


つまり、

就活は、活動を通じて気づきを得ながら、

社会人になる前に成長できるステップ

そういう機会でもあると思うのです。


就活のテンプレ化が考えることを辞めさせる

では、そんな側面を曇らせる要因は何なのか?

私は、現在の就活のテンプレ化

その一因を担っているような気がします。


なんだか、

これを言っておけばいいとか、

これを着ておけばいいとか。

そのテンプレの意味を考えずに

ただただ決まった枠に言葉を綴って発するだけ。

決まったスーツに着替えて、

決まった振る舞いをするだけ。


なぜその言葉が、その装いが、その振る舞いが必要なのか?

を考えさせるものでないのかなと。


就活生を取り巻く周りの環境も残酷です。

考えるのを止めて、

結論:決まりだから

とだけ伝えて、就活に当てはめるだけの作業を学生にさせる。

なんだかそんな風に感じてしまいます。


そういった理由もなく枠にはめる作業になっている側面が、

今の就活を没個性的なものとして

彷彿させているのではないか、と思ってしまいます。


私は枠にはめることは悪いことだと思いません。

何事も守破離。

型を知ってその上でオリジナリティや個性を見出す。

枠にはめることは必要なステップだと思います。


ただ、そこになんの意味づけもなく

テンプレに当てはめる作業だけが行われているところが

あまりよろしくないなのかな、なんて感じています。


「当たり前」の意味を今一度、考えてみよう

これは就活生に限らず、

私のような社会人に対しても言えることかもしれません。


・なぜ今その作業をしているのか?

・なぜ仕事でスーツを着るのか?

・なぜビジネスをしているのか?

なんとなくで過ごしていませんか?

なんとなくでやってしまうのがまさしくテンプレ化です。

そのテンプレを、相手に押し付けてませんか?


就活の流れを変えるのは、

現状の仕組みを変えるところもあるかもしれませんが、

実は私たち社会人が一度、

自分たちの仕事や振る舞い、身だしなみの意味を見つめ直す

ところから変わるところもあるのかもしれませんね。



どうか就職活動が単に職探しのためだけに

終わるものではなく、

就活生が成長する場としてあってほしいものです。


私も今後、就活関係の講座を受け持つときは

気づきを与えるように意識しようと思いました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?