山奥に1人で生きてたら?
「どうしたら自分に自信が持てるのか?」というのを考えていて「こんな時はどうだろう?」「こうだったらどうなんだろう?」という疑問が玉突き状に湧いてきたので、ちょっと書いてみます。
自信のシミュレーション? イメトレ?
なんと言っていいのか良くわかりませんが、頭の整理も兼ねて書いてみます。
山奥に1人で生きていたら?(サバイバル編)
天候、食料、健康といった心配事はたくさんあるだろうな、とは思います。
でも、そこにあるのは、現実的な生き残るためのリスクヘッジじゃないでしょうか?
そこで、わざわざ自分の資質の活かし方や自信の有無は悩まないのでは?
自分の得意なことが「狩」とか「木登り」みたいな身体能力関連や、毒キノコと食べても大丈夫なキノコを見分けられるとかの知識量とか、サバイバル向けのものであれば、「大丈夫、山でも生きていけます」みたいな自信になるのでしょうが…
実際に「山奥で生きる自信ある?」と聞かれたら、私には身体能力も知識もないので、やってみる前から「無理。できない。自信ゼロ」となります。
1人じゃなくて、誰かと一緒でも無理だと思います。サバイバルの役に立てる気がしません。
山奥で1人で生きていたら?(隠遁生活の陶芸家編)
衣食住は確保されている前提で、この場合に「自分は、自信があるだろうか?」と自問するかな?と思うと、これもしない気がします。
仮に自問するとして、そもそも、何に対しての「自信」についてか、よくわからないです。
作品の出来の良し悪しとか?
陶芸家として生活して行けるか?
(いや、でも衣食住は確保されてる前提だし?)
もし私がこの陶芸家なら、自信があるかなんて自問しないと思います。
陶芸家として生きようと決めて山に篭って生活を始めた時点で、陶芸のこと以外は割とどうでも良くなっている気がします。
集中するのは、自分が納得できる作品を作ることだけじゃないかな、と。
山奥で1人で生きていたら?(陶芸作家編)
こうなると、ちょっと心配になってきます。
自分のために作っていたとしても、世に出す時は不安になる気がします。
わざわざ山奥にこもって、精進して、想いを込めて作った作品群です。
自分にとってはどれも大切な作品です。
誠心誠意込めて作った作品って、どこか自分の分身みたいですよね。
価値を認めてもらえないのは、自分を否定されるみたいでやっぱり辛いです…
ここで(私なら)「自信」というのが、かなり切実な問題になってきます。
山奥に1人で生きていても
結局のところ「自信」は問題になってくるようです。
1番目は自信の問題というより、シンプルにサバイバル能力の有無という気がします。
私にはどう考えても無理ですが、現実にその場になれば、嫌でもサバイバルトライすることになります。
そうなると、「自信」は問題になりませんよね。
選択肢ないですから。
生き延びたかったら有無を言わさずやるしかない、となってしまいます。
ということは:
これですね、きっと。
自信が自分にとって課題(問題)になるのは、3番目が顕著かなと思います。
自分では「これ!」と思って出品しても、どんな評価を受けるのか不安になってしまってしまいます。
作品を見る側の好みは人によるので「これ好きじゃない」と言われるのは仕方ない場合もあるかなと思います。
それでも、一生懸命作った作品はやっぱり大事だし可愛いです。
否定されるのは辛いですよね。
ということで、これはこんな感じになりそうです:
2番目のように、ただ自分のためだけに1人で作品を作っている間なら、自分のことに集中できます。自分で好きに作ってるだけなので「いい作品か?」という判断も自分の基準だけですし、納得できなければ、納得できるまで思考錯誤して作るだけのことだと思うのです。
だから「自信がある/ない」という問題意識は(1番目とは違う意味で)出てこないと思うんです。
となると、これはこんな感じで:
この3パターンを考えると、自信の有無が左右されるのは、そこに他者の目(評価)があるかどうかのようです。
実際に評価されなくても、評価されるかもしれないという懸念が入り込むだけで、自信は減ってしまいます。
逆を言えば…
何かして失敗したとしても、失敗という事実に対して、トライ&エラーの精神で次回うまくやれば良いと思えるメンタルがあれば大丈夫ということでは?
問題になるのは、失敗を「自分はダメだ」と自分という「人」に投射するときじゃないでしょうか。
つまり:
それなら、他者からのネガティブな評価を自分に投射したり、ネガティブに評価されるかもしれないという危惧をしなければ、自信はなくなりませんよね。
そんな風に、他人を意識しないでいられれば良い、のでは?と思うのです。
それは「自分に意識を集中する」とも言えそうですよね?
自己肯定感があれば?
自信のことを考えると「自己肯定感」とか「自分らしさ」とか「自分軸」が出てきますが、無理もないかなと感じます。
「自分は自分のままで良い」から「自分は他人と違っても良い」になって、これを更に進めて「自分は他人と違うから良い」にまでいけば、「自信=自分を信じる」になりそうです。
でも、そこまで進化すれば「私は自信がある」とか「私は自己肯定感が高い」と、あえて意識したりはしない気がします。
そんな印象です。
なんだか「無の境地」みたいな、とても尊いイメージです。
思うんですが、自分を信じる(自信)には、信じるに足るだけの「何か」が必要なのではないでしょうか?
その「何か」は人によって違うと思うのですが、それが何かわからないままだと、恐らく不安は続くでしょうし、それに伴って自信がない状態も続きそうです。
他人の評価は双刃
自信がない人に「自信を持ちなさい」と言っても、それは多分無理だと思うんです。
理由づけがないと、そう言われてもそのまま信じるのいは難しいですから。
表彰されたとか、誉められたとか、周りから評価されると自信がつきますよね。
良い業績を出すのも、自分が考えた企画が採用されるのも自信につながります。
これはこれでジレンマです。
他人からの評価を気にしなければ自信がなくならないはずなのに、評価が良ければ自信になるのって、なんとなく釈然としません。
それなら自信をつけるために「良い評価を得る努力」をすれば良いのかとなってしまいそうですが、それをしてしまうと他人尺度で動く自分になってしまう可能性があります。
それはそれで本末転倒ではないでしょうか?
しかも、その「他人」が複数で、それぞれが違う尺度だったら、自分はどれに従えば「良い評価」を得られるのか、ここで悩むようになれば「自信がない」に逆戻りですよね。悩ましいところです。
他人を気にすると、それだけで疲れるので、もういっそ
これでどうでしょうか?
自信について、私のサイトに「自信の付け方」としてシリーズでブログを書いています。noteはどちらかというと独り言的な感じで書いているので、サイトのブログとは少し違いますが、どちらも正直な私の感想であり考察です。
良ければサイトブログ版もどうぞ覗いてみてください。