代表取締役 星 尚男
システムとモビリティに精通したプロフェッショナル集団 大手を凌ぐスピードで空の産業革命に挑む
はじめまして。ファーロスター代表の星尚男(ほしたかお)と申します。
今回は、私のことについてお話します。
ファーロスター設立のマインド
私たちの強みは、次世代モビリティとAIアルゴリズムとロボットです。現状に満足することなく革新的なアプローチを取り、常に最先端の技術を追求しています。衝突回避自動管制技術は特許を取得しており、産業界で広く活躍できるものと考えています。
現時点では、モビリティ/AIアルゴリズム/ロボットと多方面に手を広げていますが、共通するのは「そんなのまだできるわけないだろう」と少し笑われるくらいのことに早く着手する。そういう気持ちがベースにあります。
挫折から這い上がる
私は1970年生まれです。小中高校とサッカーに明け暮れていました。ポジションはゴールキーパー(GK)。父の「GKは格闘技」という教えで柔道も始めました。高校の時、柔道のクラスマッチの決勝戦で左肘側副靭帯を断裂。GKの道が閉ざされました。GKとして注目され始めたという自負もあり、選手生命が絶たれたことは若い私には相当な苦しみとなり、学校に行かなくなりました。
その頃、世間では映画「トップガン」が上映されたり、湾岸戦争の話題で盛り上がっていました。この時に、「何か少しでも人の役に立ちたい」と思い、防衛大学校へ進学し、兵隊の道に進む決心を。
通信技術との出会い
防衛大学校では、通信工学を専攻し衛星通信などの技術を研究しました。
この時に、通信に関する知識を得てアンテナや信号などの解析やアルゴリズムに興味を持つことに。恩師とは今も研究を続けています。
自衛官として
航空自衛隊に配属され、自衛官としての道を歩むことに。戦闘航空団、輸送航空隊を経て日本航空に出向することも。日本航空では政府専用機であるB747-400の一等航空整備士の資格を取得し、小泉首相の時に4年間で30ヵ国随行しました。
その後、補給本部では航空機のシステム管理を担当し、その後、航空幕僚監部勤務となりました。
運命の2011.3.11
金曜日の夕方でした。突然の揺れと携帯電話の「アラート音」が鳴り響き、東日本大震災が発生しました。発生直後、私は在日米軍第5空軍司令部に異動となり、「Operation TOMODACHI(トモダチ作戦)」に参加することに。米空軍という立場から自衛隊をサポートするのが私の任務でした。福島、宮城と現地を訪れて物資輸送の後方支援を実施しました。現地では想像を超える…状況で…今でも思い出すと言葉が詰まります。
(このお話は別の機会にします。)
とにかくがむしゃらに任務を遂行しましたが、結果、何もすることができなかった…。
「空を飛行できる無人機があれば、多くの命を救えたかも。」こう思うようになったのは、少し時間が経ってからのことです。
民間で足を一歩踏み出す
ご縁があって民間企業に転職することになりました。ここでは様々なこと挑戦し、出会い、自分を成長させることができました。もちろん、簡単なことではありませんでした。何度も何度もくじけそうになり、たくさんの方に支えられました。支えていただいた全ての方に感謝の言葉もありません。
航空技術の危機
日本航空の破綻、航空技術者育成の途絶と暗い話ばかりではなく、国産航空機の開発も熱気を帯びていました。しかし、この時から技術者の育成に時間がかかるなど課題は山積していました。我が国の国力に直結する技術者の育成のため、思い切って大学を作るべく「一般社団法人日本航空教育都市構想推進協議会(JCAPI)」を設立しカリキュラムの作成などに尽力しました。それでも、まだ危機は続いています。
地方の底力
地方企業の副社長として空飛ぶクルマの前身である「一人乗りの無人機」の開発を担当することになった時のこと。毎晩のように青年会議所の方々と酒を酌み交わし、地方のあるべき姿や大学誘致について語りました。みな、立場は違えど故郷を思う気持ちは同じでした。勢いをつけて市と「大学誘致構想」を策定したりドローンテストフィールドを作ったり、一緒に熱い時間を過ごしました。
地方はまだまだやれる。
ファーロスター設立
次世代モビリティは機体だけでは運用できない。空域を安全に管理することがとても重要な要素だからです。機体そのものには注目が集まりますが、その他はあまり注目されません。実際には空域を管理することは非常に難しく、更に専門的な知識が必要だからです。
「私が動かねば。」
機体のシステムや通信技術、航空機の運用、後方支援や整備、管制、制度設計このすべてに通じている人はあまり存在しません。「私がやらなくで誰ができる」とこう思い、ファーロスターを設立することにしました。
次世代モビリティに必要な運航管理と航空交通管制
運航管理とは、例えば、タクシー事業者を想像してみてください。一つの会社内でのタクシーの配車係と、タクシー運転手が無線や端末でつながっている状態です。これが航空機の世界だと、エアラインの運航管理者(ディスパッチャー)と操縦士がつながっているのと同じことになります。会社が違えば無線連絡はほぼ行われません。あくまでも社内のみの運用です。
それでは航空交通管制とは何でしょう。日本では、国土交通省航空局(JCAB)、自衛隊、在日米軍のみ実施している、航空機同士がぶつからないように日本全体の空の安全を守ることを指しています。
このように、運航管理と航空交通管制には違いがあります。ファーロスターは次世代モビリティの航空交通管制プロバイダーを目指している企業です。
最後までたち続けること
私は挫折からはじまり、それを乗り越え、震災により心を痛め、それでも何度でも立ち上がって前に…前に進んで来ました。
華やかな人生ではなく、泥臭い中で人生のほとんどを過ごしてきました。これからの人生は、これまでたくさんの方に支えられましたので、「恩返しの時間帯」だと捉え、一つでも多くの命を救えるよう、また、一人でも多くの方が幸せになれるよう全力で走りきりたと思います。
新たな困難もあるでしょう。
それでも私は最後まで立ち続けます。
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