え!?牧場ってできるの?(その2)
こうして、制度的に牧場への道筋が開かれたわけですが、制度的にできることになったとはいえ、酪農に対する敷居が低くなったとは言えません。というのは農業というのはものすごい知識、体力、探究力、忍耐力が必要な分野だと、北海道に来てから思い知らされていたからです。
あの頃の帯広畜産大学では、農家での1ヶ月程度の「実習」が必須科目でした。ちゃんと「単位」としてあったので、学生はみな夏休みなどを利用して農家に実習に入り、農家から「ちゃんとやれました!」っていうハンコをもらってこないと単位が取れない仕組みになっていました。(今はその制度はなくなっているようなんですが、当時はさすが実地の畜産大学、すげーなーって思ったもんです)そんな中、私も何度か農家実習に入ったわけですが、そこで「農家のおじさん」たちと働いて感じたのは、
体力(ばけもの)
知識(博士かい!(ただし牛に関してのみ))
探究力(夜の、・・・・いやいや、ちがいます)
忍耐力(「試される大地、北海道!」っていう道庁のスローガンが全てを物語る開拓史)
というものでした。
農業者をよく「百姓」っていいますよね?私はあれはちょっと侮蔑的な呼称というよりも、その字そのまま「百の姓を持つ者」と理解しています。つまり農業者は労働者であり、生物学者であり、化学者であり、時には獣医、大工、電気屋、機械整備士、など、ありとあらゆることを要求される職業であるからです。もちろん、お金を使って他の人に任せることもできますが、基本、ど田舎や原野の中にあって、問題が発生した時、それぞれの分野の専門家に電話して来るのを待って・・・という悠長なことをやってられないシーンがふんだんに出て来ます。おのずと自ら勉強してある程度は自分でやれちゃうもーん、ってならないと仕事にならんわけです。なので「農家のおじさん」たちはもうほんとにありとあわゆること、ほとんど自分でやっちゃうバイタリティーの塊のような人たちばかりでした。サバイバルなシーンで都会の人など足元にも及ばない「総合力」を農家の人たちは持ってます。
農家実習に入ってまず度肝を抜かれたのは、おじさんたちの「体力」です。
私たちの頃は、牛の冬の間の貯蔵食である「乾草」を作る機械として主流だったのが、「コンパクトベーラー」という、乾草を四角くまとめてポイって吐き出す機械でした。大きな「ロール」状にして吐き出す「ロールベーラー」という奇跡の農機具(笑)はまだ非常に珍しい存在だった頃です。
四角く圧縮されて機械から吐き出された乾草は、1個15〜20kgくらいあります。ひろーーーーい牧草地にポイポイポイポイ吐き出されていくこの乾草の塊を、ちょっと遅れてトラックやトレーラーに積み込んでいくのがだいたい実習生たちの仕事でした。トラックがいっぱいになったら牛舎に戻って、牛舎の2階にある貯蔵庫へ収納する・・・・・・・・・。
これを1日1000〜3000個やるわけっすよ。1000〜3000個!!!
15kgって都会の生活で言うとどんな重さだろ?スーパーでお米を買うときに一番大きな袋で10kg?あとビールの大瓶が入った運搬箱、あれがだいたい13〜15kgくらい?ま、そんななかなかに重たく、しかもつかみどころの少ない厄介なものをエイや!っとトラックの荷台に放り上げ(しかも積み上げていけば行くほどどんどん高くなる!)、ようやっと積み込んだものをまた崩して牛舎の2階に引きずりあげて積み直す・・・・これを一人1000個以上・・・・・
もちろん牧場の仕事はそれだけではないわけです。朝夕の搾乳作業は毎日あるわけで、
朝4時起床
搾乳
6時過ぎ、牧草地へ行って「乾草あげ」
9時頃、めし!
また牧草地へ行って「乾草あげ」
13時ごろ、めし!
夕方の搾乳まで「乾草あげ」
搾乳
「ようやく一日が終わったー」ではなく、再度日が暮れるまで「乾草あげ」!
夜9時頃ようやく、めし!(北海道の夏は日が暮れるのがとっても遅いのです・・・)
(まあ、夏の収穫期だけのことですが・・・)
ちなみにこの「乾草あげ」で有利だった部活は(笑)、1位柔道部(腕っぷしと背筋の強さがピカイチ)、2位にバスケット部(シュートを打つように片手でポイってトラックに放り投げる猛者がいた!)。
もうですね、いくら若いからといっても、夕ご飯を頂いてる最中にうとうと寝てしまうほど疲れ切る状態だったわけですよ・・・・
そういう経験をしていたからですね、牧場をやれ!と言われたらそりゃあ、1年や2年は存分に暴れて見せましょう(第2次大戦のときの山本長官の「米国とやれと言われれば1年やそこらは存分に暴れてみせましょう、ただ長期戦となったら・・・・、に、かけてます)、ただそんな生活を一生やれと言われたら・・・「うわ〜〜、農家ってちょっと無理だなああ!」って、私自身の正直な感想だったわけです。
ところがそんな「へなちょこ実習生」にも厳しい酪農現場をクリアしていける「奇跡の農機具やシステム」が、ちょうど私が牧場をやりたいかも、って思い出した頃に次々と導入され始めたんですね。ハード的なものとソフトウェア的なものの両面で酪農界に革命が起き始めていたちょうどその頃に、私が「え!?牧場ってやれるの?」って思い始めたのは、本当にタイミングが良かったと思います。
ハードウェア的なものは主に先述した「ロールベーラー」でしょうか。
これは今では夏の北海道を車で走るとよく目にする光景となりましたが、乾草を拾い上げて大きなロール状にして吐き出す農機具です。
この機械によって乾草運びは人手ではなくタイヤショベルなどの機械によって行われるようになりました。機械の操作さえできれば「へなちょこ実習生」にもチョチョイのチョイでできてしまうわけです。作業もとてもスマート。この他にも昔は「体力勝負」だった作業が、新しく導入された農機具によってどんどん「誰にでもできる仕事」になっていった時期でもあったのです。農家のおじさんの驚異的な体力と筋力にはとてもついていけず、「農家は無理!」とショックを受けていた「へなちょこ学生」に見えた、光明でありました。
私たちが実習生をやっていたころ、「ロールベーラー」はまだ非常に高価で、導入してる牧場はほんの僅かでした。汗まみれ、腕は乾草で傷だらけ、へろへろのワタシたちは、よくトラックの荷台からおじさんに向かって叫んだものです。
「おじさん、あれ買ってくださいよ〜〜〜!」
「おまえら、あれ買ったら、お前らいらなくなるべさ〜〜?」
「あ、」
私が「牧場ってやれるかも!?」っと思い出したもう一つの大きな変革は、ソフトウェア的なことでも従来の酪農とは大きく変わりつつあったことでした。
それは牧場で生まれ育った「農家のおじさん」たちには絶対にかなわない、と思っていた「経験と勘」の部分でも、なんとかなるんじゃない?、いや、逆に僕たちのほうが有利なんじゃない?と思わせる、とても大きな変革だったのです。
つづく。
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