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「夢物語」は醸す(かもす)ものなのであります

私は1985年、北海道の帯広畜産大学という国立大学を卒業しています。日本で唯一の畜産専門の単科大学です。人は「畜産界の東大」と呼びます(ウソです)。
学科は「家畜生産科学科」。なんだかややこしい学科名ですが、もともと「酪農学科」と呼ばれていた学科です。「酪農」という言葉も、都会の人には馴染みがないと思うんですが(これ、けっこう農家の人は知らない。私も北海道に来るまで知らなかったっす・・・)、乳牛を飼って牛乳を搾る牧場形態のことを「酪農(らくのう)」といいます。牧場と言っても肉にする牛を専門に飼っているところや、子牛から育成牛(人間でいうと中高生くらいの牛)だけを専門に飼っている牧場もあるからです。

「帯広畜産大学」「酪農学科」というと、「ああ、牧場をやりたくてそれで北海道の大学に行かれたんですね!」と、だいたいは言われます。すごく合点がいったという顔で・・・。そう言われると私はいつも「あ、ああ、ええ、まあ、そ、そうですね・・・」と曖昧な答えを返します。だって、質問者はすごく合点がいったという目をキラキラさせながら同意を求めてきますもん・・・・(^_^;)
大阪という都会から北海道の、それも帯広という奥地にある(笑)、しかも「畜産」の専門大学に、何でわざわざ来るのか行ったのか、なにかそこに熱い理由があるのでしょうと、そこを聞きたいのですよ〜〜、という期待のまなざしで見られたら、「そ、そうなんです」と答えるしかないじゃないですか。


本当は遊びに行ったんですなんて・・・・・・とても言えない・・・・
(なんてこったい!(笑))

畜大時代


遊ぶために北海道に来たというのはちょっと誤解を生みそうですが、そもそも牧場をやりたかったとかやりたくなかったとかという話の前に、「牧場ができる」なんて思わないと思いません?都会の人にとっては、特に。
農業というのは代々農家をやっていて、その跡取りでもない限り農地なんて手に入らないし、無理、っていうのが普通です。なので、やりたい、やりたくないと言う前に「できると思っていなかった」というのが本当のところ。大学に入る前も入ったあとも、「できると思っていない」から、まったく将来の選択肢には入っていませんでした。

夢というものは、実現しそうにないけれども、空想の中でなら自由に思い描くことができるもので、自分のスタイルに合ったストーリーを思い描いて楽しむもの、です。なので到底実現はしないだろうけれども、それはそれで、自分の興味のあること、目指したい方向、ライフスタイル、を暗に表していることがあります。「将来何をしていいのかわからない」という悩める青年でも、ふだん、ふと空想する事柄は、本当の自分の志向を暗示していることが多いのではないかと思います。

私もそういう「こんな夢みたいなことできたらいいなあ。でもまあ、無理やろなあ・・・」というような「夢物語」をいくつか心の奥底に持っていました。
牧場をはじめるキッカケは、そういう「夢物語」をいくつも持っていたところに、突然「それ、できますよ!」っていう状況になったので、後先考えず無我夢中で飛びついた、っていうのが本当のところです。ずっと牧場をやりたいと思ってそれを目指していたわけではなく、「やれる」環境ができてきたので、「それならやりたいです!」と手を上げたようなものです。なので、ずっと牧場経営をめざして一心不乱にがんばってきた人とはちょっと違うというか・・・そういう人には申し訳ないというか・・・そもそも優秀な牛を生産して、生産量を大きくして、日本の食糧事情に貢献するんだ!というような「正統派、牛飼いになりたい!」組ではなかったというのが本当のところでした・・・・

私のその「夢物語」の一つは中学時代にまでさかのぼります。それはみなさんよく御存知の(若い人は知らないか・・・)「大草原の小さな家」というテレビドラマとの出会いでした。

大草原の小さな家

「大草原の小さな家」Little house on the prairie. は人気が出てシリーズ化され、長く放映されたテレビドラマでしたが、最初はNHKの特別番組として一話だけの放送でした。アメリカ東部の深い森の開拓地から、若い家族が自分たちの土地を求めて西部へと向かう物語。すごく感銘を受け、中学の同級生に興奮して「ああいうのいいね!」話したことを思い出します。広い大地、新天地を求めて旅立つ家族。日本では夢物語だけれども、あの時、自然の中へ!という一筋の川の流れが、私の心の奥底にできたのは間違いないと思います。

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もう一つの「夢物語」は高校生時代。
登山や釣りが大好きだった私は、その関係で二つの雑誌と出会います。「Outdoor」 というバックパッキングやフライフィッシングなどの話題を扱う雑誌と、「ウッディライフ」というログハウスの話題を中心とした雑誌でした。いずれものちに月刊紙となって長く出版されることになりますが、その時には別冊扱いで、たまたまお試しに出版された雑誌でした。「大草原の小さな家」のパターンと似ていますね。これら1回こっきりの放送、あるいは出版の予定だったものに、たまたま出会わなければ、私はいま北海道にいなかったかもしれません。

Outdoorではよく北海道の特集がされていました。アウトドア大陸北海道!、とかね。大阪の高校生にとって、あの時代、北海道はほぼ「外国」でした。遠い、大陸を思わせる自然。大阪近郊での山登りや釣りに比べたら、それはそれは圧倒的な規模であろうと「夢物語」にふけったものです。ウッディライフという雑誌では「ログハウス」に出会いました。今ではけっこう至る所で見られるログハウスですが、あの当時はまだまだ西部劇などの映画の中でみるくらいの世界。高校生でそういうことに興味を持つのはちょっと「変なやつ」だったでしょうが、天王寺の旭屋書店で並んでいたその雑誌の表紙に、なぜか惹かれるものがあって手にとったのを憶えています。ちなみに私は中学、高校と、ずっと剣道部に所属していて、山登りやログハウスのことなどは週末の楽しみだったので、同級生たちは私がそんな志向を持っていたことなどは知らなかったと思います。一度ログハウス特集の雑誌を学校に持っていって、休み時間にこっそり見ていたら、同級生の女子に見つかって「海野くんって、そんなのに興味があるの!?意外〜〜〜〜!」って大騒ぎされたことがあります。きっと「変態」と思われたんだ・・・・・(涙。
ログハウスのかっこよさに惹かれたのもそうなんですが、ちょっと衝撃だったのは、家って自分で建てられるんだ、という事実でした。家というのは大工さんが専門の技術を駆使してでしか建てられないもの、て、まあ普通は思ってますよね?百戦錬磨の百姓となった今では(笑)、普通の家も自分で建てられる自信がありますが、そのときは、え!?ログハウスなら自分で建てられるんだ、という事に驚きと興奮を覚えました。大自然の中で自分で建てたログハウスに住み、フライフィッシングや自給自足を楽しむ、なんていう「夢物語」がまた一つ、ココロの中に醸成されていったのです。



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