「ごきげんよう」の6年間
私は中学高校と女子校に通っていたのですが、そこでの挨拶は「ごきげんよう」でした。
授業の始めと終わりの挨拶もごきげんよう、
校内で先生とすれ違った時もごきげんよう、
文化祭などでいらした来賓の方に対しても、もちろん、ごきげんよう。
傍から見たら何となくお上品な雰囲気ですし、
入学した当初は私も「わあ何だかお嬢様になったみたいウフフ」なんてほんのり浮かれると同時に口にすることへの気恥ずかしさもあったりしたのですが、そんな風に思っていたのは最初の一週間くらい。
授業始めと終わりそれぞれ×6時間分、プラス朝と帰りのホームルームで、1日に最低でも14ごきげんよう、これを月曜から金曜までの5日間繰り返して一週間で70ごきげんよう(プラス休み時間や放課後に先生とすれ違った時)。気付いたら抵抗もなく自然と…というか特に何も考えなくても「ごきげんよう」という言葉が挨拶として勝手に口をついて出てくるようになりました。
男性の先生も、運動部のボーイッシュでかっこいい先輩も、全員一律、ごきげんよう。
ただ、「ごきげんよう」を挨拶として設定しているとはいえ我が母校は別に良家の子女が多く通うというようなお嬢様学校でも何でもなかったので、
廊下に座り込み足をだらしなく広げて友達とくっちゃべりながら、そこを通りかかった先生に向かって片手を挙げながら「ごきげんよう〜」と挨拶するとか、私を含めた一部の生徒たちは日常的にやってました。夏場の暑い時はスカートでバタバタ扇ぎながら…とか。言葉の意味だとかお上品らしさみたいなものを意識することもなく、「ゴキゲンヨー=挨拶」みたいな、ただただ記号のような感覚でした。
6年間毎日毎日「ごきげんよう」を言い続けたらさすがに自分の中に染み付いていたようで、大学受験の予備校で守衛さんにうっかり「ごきげんよう」と挨拶してしまったこともあります。守衛さんは爽やかな笑顔で「ごきげんよう」と返してくれましたが、あれは恥ずかしかった。
高校を卒業して優に10年以上は経っていますが、あれ以来一度も「ごきげんよう」を挨拶として使ったことはないですし、大学の教授も職場の上司も誰一人として「ごきげんよう」なんて口にしませんでした。卒業後に一度母校の文化祭へ遊びに行って、先生と挨拶を交わした時くらいです。
かつては平日お昼に巨大なライオンの着ぐるみが登場する「ごきげんよう」というタイトルの番組も放送されていたくらいですから、きっと一般的にも挨拶としては認知されているはずなのに、なぜこんなにも日常の中で耳にする機会がないのでしょうか。私が6年間を過ごしたあの場所はそんなに世間一般から隔絶された異空間だったのでしょうか。ま、思い返してみればある意味そうだったとも言えるのですが…
卒業から月日は流れ、時代の変化とともに母校も私の在学当時とは様々な点で変化しているようですが、一卒業生のエゴとして「ごきげんよう」は残っていたら嬉しいな…なんて思ったりもします。
何というか、挨拶の一種という知識として世間に存在するだけでなく、たとえ実用的でなくとも時代錯誤的でも、リアルタイムで「ごきげんよう」をナチュラルに挨拶として用いている稀有な存在がいてほしいというか。本当にただの勝手な願望ですが…いやでも、仮に母校が廃止していたとしても他のどこかの学校で存続してくれていればもうそれでいいような(その程度の思い入れ)
それではみなさま、ごきげんよう。