0か100か
今日は次男の言語療育の日。
約1年ぶりぐらいだ。
STの先生に呼び出され、少し緊張しながらもセラピー室に入る。
ここで、成長を感じる。
以前の次男なら、初めての場所、初めての人には、感情を爆発してなかなか部屋に入れなかったりしたのに、いつの間にか順応するチカラが身についていたからだ。
間違ってもいいからの本質
セラピーでは、色んな項目を質問されていくのだが、答えが合っているのに自信を持てず、先生にいちいち確認をとる次男。
学校でも自宅でもそうなのだ。
こっちが余裕がないと「さっさと、やれー!」となる。
「間違ってもいいから」
この言葉をよく次男にかける。
おそらく、学校でもそうかけられている。
だから、逆に人が迷っていたりすると、次男は「間違ってもいいから」と声をかけることができる。だけど、その本質をまだわかっていないのだろうと、STの先生から教えてもらった。
大人は誰しも100%では生きていないし、0%でも生きていない。
そんな風に生きるのは現実的じゃないし、疲れることだと知っているから。
大人は曖昧な世界で生きている。
だけど、子供はどうだろう。
幼ければ幼いほど、0か100の世界で生きているかもしれない。
曖昧なグレーな世界は、経験を積まないと描けない世界だから、子供にとってすぐに順応するのは難しい。
私にできること
私にできること
大人にできること
それは何だろう。
失敗しても、間違っても、決して0にはならない姿を見せていくしかないのかもしれない。