当たり前なことができる喜び
私の母は、長年ガンと共に生きている。
昨年転移がわかり、より強い抗がん剤治療が必要になった。
髪は抜け落ち、口の中はただれ、一時は水を飲むのも困難なぐらいにまでになった。
当然、母のメンタルは落ち込み、いくら治療に効果があったとしても、生活の質が落ちてしまうのでは何のために治療しなければいけないのか、疑問に思うところもあった。
抗がん剤の量を調整したり、なんとか半年強、治療を続けてきた結果、
悪くはなっていないとのことで、
強い抗がん剤抜きの治療をしばらく続けていくことになった。
ようやく、食事も普通にとれるようになり、髪の毛も生え揃ってきたところだ。
母の変化
画像とともに母からLINEが届いた。
「美容院にいってきたよ」
抗がん剤治療で抜けてしまった母の髪の毛がようやく生え揃い、半年強ぶりの美容院に行ってきた報告だった。美容師さんに髪を切ってもらったあとの自撮りを添えて。
治療前はこまめに美容院に行くタイプの人だったので、多分すごく嬉しかったのだろう。
脱毛途中の母の髪の毛を、私がバリカンで全部剃った事もあった。
私の子供達に、おどけてその丸坊主姿を見せたりしていたのだけど、内心きっと大きく落ち込んでいたと思う。
「ウィッグは卒業予定です」
というメッセージも届いた。
一緒にウィッグを見に行ったりして、
ウィッグを身につけることにも楽しもうとはしていたけれど、
やっぱり自分の髪の毛で過ごせることが1番嬉しいのだろう。
母は、退会していたスポーツクラブに再入会したり、少しずつ治療前の生活を過ごそうという前向きな気持ちになってきている。
決して全快した訳ではないけれど、現状を楽しもうとしている母の変化は、私に大事なことを気づかせてくれた。
それは、当たり前にできることがその人にとって喜びと生きる活力を与えるということだ。
ふと思い出せばいい
日常で、なんでもかんでも感謝できるかというと、そんなに意識して過ごせるわけではないけれど、
普通にご飯が食べられて、
大切な人がいて、
ふとしたときに、当たり前ができている環境に感謝すればいいと思う。
とにもかくにも、母が前向きな気持ちになってきてくれたことは、私も何より嬉しい。