生きてるだけでまるもうけ

最初に聞いたときには、この言葉の意味をちゃんと理解できていなかった。今でもちゃんとは理解できていないのかもしれないけれど、この言葉に共感できることは人生の折り返しも近づいた今になって増えてきている。

人生の折り返し、と書いたが自分の人生がいつ終わるのかなんて終わってみないとわからないわけで、100歳まで生きるか、明日死んでしまうかなんてのはその日が来ないとわからない。あくまで「大きな事故や病気など過ごせたとして」平均余命通りに生きるのであれば折り返し、という計算になる。

これまでの人生を振り返った時に「死」というものを何度か意識したことがある。

近所の家のおばちゃんが実は亡くなっていたと知った時、大好きだった祖母が亡くなった時、子供が生まれた時、子供と遊んでくれている両親を見た時。

そして昨日。

東京にいた頃に主催していた趣味サークルのメンバーが亡くなっていたと連絡を受けた。
今でもサークルは続いているが、自分は大阪に転居したタイミングで代表を退いていて、彼女に最後に会ったのは自分の送別会だったと思う。

年賀状が途絶えていて、年賀状じまいしたのかな?なんて思っていた。
東京に遊びに行ったら、いつでも集まれる思っていた。
みんな変わらないと思っていた。変わってないと思っていた。

最初に聞いたときは驚きでよくわからなかったけど、1日経って、毎週のように会って、飲みに行って、旅行したら雑魚寝して、くだらないことで笑って、他愛のないやり取りしてたなとかそんなことがグルグルと思い出されては消えて行って、正直またサークルに顔を出したら会えるんじゃないかと錯覚するくらい現実味はなくて。

今思えば、彼女は自分について多くを語らない人だったと思う。
どういう仕事をしているのかとか、兄弟はいるのかとか、好きなテレビタレントや音楽は何かとか、そういう話をほとんどしたことがない。
そこまで仲良くなかったと言えば確かにそうだし、自分たちの関係性を表す言葉がうまく思いつかない。同志、志を同じにする人、というのが一番しっくりくるような気がする。

この文を書きながらも感情も文章も全然整理ができていなくて、何が言いたいのかもわからないのだけれど、今思うことをそのまま書き残しておくことも自分にとっては意味があるかもしれないと思ってそのままにしておく。

サークルで過ごした第二の青春は、宝物のような日々で、そのピースの1つに彼女がいてくれたことを本当に嬉しく思う。
願わくばこれを、本人に直接伝えたかった。

本当に、ありがとう。

そして、お疲れ様。

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