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受験で失敗したことと、そこからの人生について

こちらの意思とは関係なく垂れてくる鼻水をすするようになり、春が近づきつつあることを実感する。

これまでの人生をちょうど真っ二つにした時、今に続く僕の人生に大きな転機があった。すなわち、大学受験である。

田舎で生まれ育った僕にとって、小学校から中学校へは持ち上がりで、高校受験は行ける範囲の公立の中で選ぶ、というのが基本的な選択肢だった。高校受験といってもせいぜい近くにあるA高校とちょっと遠いB高校のどっちにしよう、くらいのもので、行動範囲も生活も大きく変わることはなかった。

しかし、大学受験となるとその選択肢は大きく広がる、基本的に地元を出ることすらほとんどなかったのに、どこの地で、何を学ぶのか、そして進んだ先にはこれまでのように「元々の友達」がいない。

とはいえ、当時の僕は「この大学に行きたい」「この分野が学びたい」という積極的な思いがあるわけではなく「行ける範囲で一番偏差値の高いところへ」「私立はお金がかかるので国公立で」「理系で情報系が向いてそうかも」くらいにしか考えていなかった。

そしてもう1つ、現役で大学に受かるはずないよな、というぼんやりとした気持ちがあった。部活に入り浸り、ろくに勉強するでもなく毎日ネットにどっぷりと浸かる日々。付け焼刃で受験したものの結果はやはり不合格。

そして1年の充電期間に突入した。起伏の少なかったこの19歳の1年の記憶がほとんどない。毎日電車に乗って単語帳を覚えながら予備校へ行き、お昼に吉野家で牛丼を食うかネカフェでコーンスープをすすり、授業を終えたらまた単語帳を覚えながら帰宅する。そんな1年だった。

結果的には、2回目の受験でも第1志望には合格することができなかった。足りなかったのはほんの僅かであり、普段なら絶対やらないであろう明確なミスをしてしまっていたこともあり当時は割と凹んだ。

皆が合格した、という連絡をくれる中、1つ2つと不合格の通知が届き、家族には「申し訳ないけどもう1年ください」という話をしていた中で、最後に届いた通知が合格通知だった。

判定では一番悪く、試験の手ごたえも全くなく、最初から落ちたと思っていたところだった。慌てて買い物に行っていた家族に電話し、長きにわたったかはわからないが僕の大学受験は終わった。

今でも、あの時もう少し頑張っていれば、あるいは進学した大学に落ちていたら、どのような人生があっただろうかと考えるときがある。1人暮らしをしていたか、東京で暮らしていたか、どんな友人ができていたか、1つとして同じ結果にはなっていないと思う。

努力はたいてい報われない
願いはそんなに叶わない
それでもどうか腐らずに
でかい夢見て歩いて行くんだよ
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それもこれも最後には
笑い話に変えられるように
人生なんてそうさネタ探し
楽しんだもん勝ちそういうものだよ

もしも僕に/関取花

合格を知ったあの日、僕は「ここに行きたい」という気持ちよりも「これでもう受験勉強しなくてよい」という気持ちの方が大きかった。努力は最大限報われたかと言えば決してそうではなかったが、それは僕の努力が運を凌駕するものではなかったというだけだ。

ちなみに僕の進んだ大学は、滑り止めとして使われることが多かったので入学当初は「本当はあそこに行きたかった」と腐っている人がそれなりにいるのだけれど「大学生になれたら何でもオッケー」と、能天気に暮らしていた(だから留年したんだろと言われればその通りである)。

人生なんてものは結局なるようにしかならないわけで、今のところ絶望するほどの事態には幸運にも陥っておらず、無事明日を迎えられたらそれでいいと思う次第だ。

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