なぜ、妻は金原ひとみを読んでいるのか?ー書評『fishy』 金原ひとみ(著)
なぜ、妻は金原ひとみを読んでいるのか?
先日、ダイニングテーブルの上に見慣れない本が置いてあるのに気づいた。著者は金原ひとみ。タイトルは『fishy』とある。背表紙に市立図書館の管理ラベルが貼ってある。どうやら、妻が借りてきたらしい。
なぜ、金原ひとみ?
妻は、読書といえば、ほぼ推理小説しか読まない。結婚しておよそ25年経つが、飽きることなく推理小説を読み続けている。純文学ものや、いわゆる新書の類といったものさえ読んでいるのを見たことがない。
その妻が、なぜ、金原ひとみ?
金原ひとみといえば、2004年に20歳の若さで芥川賞を受賞した作家だ。19歳の綿矢りさも同時に芥川賞を受賞し、大いに世間を賑わせたことを覚えている。
わたしにとって、金原ひとみとは、「なんだか身体のあちらこちらを改造する小説を書いた人」というものであり、彼女の作品を読むのを意識的に避けてきた。わたしは、実際の痛みより、小説に書かれている痛そうな場面にめっそう弱いからだ。たとえば拷問の場面とか。とにかく、少しでも痛そうな小説には近寄らないようにしている。村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』のあの生きた人間の皮を剥ぐという拷問シーンは、トラウマだ。
本来なら、わたしは、ダイニングテーブルの上に置いてある金原ひとみの小説については、素通りしていくはずである。しかし、そのときは、なぜか好奇心を抑えることができなかった。たぶん、映画『ドライブ・マイ・カー』を観たせいである。観たのは半年ほど前のことではあるのだが…
結婚しておよそ25年の長い間、推理小説しか読むところを見たことがない妻が、金原ひとみを読むとは。そこには、わたしの知らない妻の一面が… まさしく、『ドライブ・マイ・カー』の世界である。
ちらちらと『fishy』のページをめくる。
「えっ、不倫(ドキッ)」
「えっ、離婚(ドキッ)」
「えっ、なになになに、これどういう話なの」
「fishyって、"怪しい"とか"いかがわしい"って意味なんや…」
妻は買い物にでも出かけたかして、姿が見えない。わたしは、『fishy』をおもむろに持ち出し、仕事部屋に籠った。面白い。ページを捲る手が止まらない。このままでは、妻に勝手に読んでいることがばれてしまう。それはあまりよろしくないような気がする。わたしは、迷わずAmazonの「今ずく購入」ボタンをクリックした。
『fishy』は令和の『細雪』である
金原ひとみの『fishy』は優れた小説である。あの、『蛇にピアス』を書いた作家が、いつのまにこういうのを書くようになったのと驚いた。
読み進めていくうちに、「あぁ、これは現代の『細雪』だなぁ」と感嘆する。二つの作品の共通点をあげると、
女性たちの関係を描いた作品である。
『細雪』は四人の女性で、こちらは三人だけど。むこうは姉妹で、こちらは友人だけど。細かなことは気にしないでおこう。女性たちの会話がいきいきしている。
『細雪』は、四姉妹が交わす、昭和初期の柔らかい関西弁が作品の魅力の一つであり、こちらは、令和の東京で仕事をする三人の女性たちのいきいきとした話し言葉が作品の魅力の一つである。洗練された都会が舞台である。
『細雪』は大阪や芦屋といった、いわゆる阪神間が舞台。こちらは、東京が舞台。どちらも、それぞれの時代の都会の雰囲気が見事に描かれている。
『fishy』が、『細雪』と異なる点もある。それも、重要な点で。
『細雪』の女性たちは、「家」に縛られている。『fishy』の女性たちは、「家」から解放されている。
『細雪』の女性たちは、ずっと「蒔岡家」に縛られていて、結婚も自由にはできない。基本的には本家や分家の了承が必要である。唯一、四女の妙子は「家」に抵抗するが、結局「家」から逃れることはできなかった。一方、『fishy』の三人の女性たちは、はじめから「家」から解放されている。みんな自分の意志で恋愛し、結婚し、不倫し、離婚しようとする。そこに、「家」からの介入はない。
だから、『fishy』の三人の女性たちは、「家」から自由である代わりに、自分で生計を立てていかなければならない。「家」からの援助はない。このあたりは、この小説が現代性を持っていて、きっと読者の共感を得るところであると思う。彼女たちは、あの「蒔岡家」の四姉妹と比べて、いかに颯爽としているか。小説の中では、お金に関する苦労も描かれているが、彼女たちは当然のごとく、働くことで解消する。ときには、慰謝料を返済するためにガールズバーで働いたりもする。この彼女たちの行動力には、きっと、多くの読者がエールを送るだろう。
妻への淡い疑惑はどうなったのか
不倫に離婚と、幸せな家庭を築いていると思い込んでいる50代の男性にとっては、穏やかではいられない小説であった。特に離婚の話については。結論を言えば、私の妻が不倫に勤しんでいる気配も、熟年離婚を突きつけてくる気配も今はないように思う。ただ、離婚については、この小説を読んでいると充分に気をつけなければと、自分を諫める。
『fishy』は図書館に返却されたようで、今はもうない。代わりに、ダイニングテーブルには、金原ひとみの別の小説が何冊も積み上げられている。妻は一体どうしたのだろうか…