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ありふれた日常が当たり前なんかじゃないと気づくとき

2018年9月6日午前3時過ぎ。突然の激しい揺れで目が覚めた。大きな衝撃の後、小刻みな横揺れが長く続く。食器がガチャガチャと音を立てていた。

あー食器がたくさん割れたんだろうなと思いながら、横においてあるテレビを押さえていた。

惨状を想像しながら1階へ降りてみたけれど割れた食器は1枚だけだった。棚からものが落ちていたものの、他に壊れたものはない。

テレビをつけて津波の心配はないことを知る。火事の心配もなさそうで一安心。

地震のときの被害は地震そのものが原因であることは少ないと何かで見た。阪神淡路大震災のときは火災、東日本大震災のときは津波。

こんなときはあまり携帯を使わないほうがいい。充電がなくなると使い物にならないから今すぐに充電しよう。

充電して数分後、ヒュンという音とともに突然視界が真っ暗になった。停電だ。

ああこうやっていつもの日常が失われていくんだなと思い知る。

暗闇の中で私は前日の行動を思い返していた。

地震の前日、9月5日未明。今年最大と言われている台風が北海道に上陸した。強い風と、ガタガタとあおられているシャッターの音。

この台風は北海道に来る前に関西方面で大きな爪痕を残していた。屋根がはがれたり、電柱が倒れたりしている凄惨な映像がタイムラインに並ぶ。

何の音かよくわからないけど、たくさんの大きな音がなりやまない中、私は恐怖を感じていた。今にも屋根が飛んでいってしまうのではないか、物置が崩れてしまうのではないかと想像して。

その後台風は過ぎ去り、いつもの起床時間には青空が見えていた。強い日差しが照りつけている。

「どこか、いつもと違う場所に行きたい」

最近いつも同じことで悩んでいる。答えを見つけたと思ったらまた悩んで、堂々巡りだ。いつも変わりばえのない毎日をすごしているのが良くないのかも。

会う人といえば夫と子どもだけ。たまにお隣りさん。行動範囲も家から一番近いスーパーと図書館とその間にある公園だけ。

そうだ。今日はどこかに出かけよう。

銭函はどうだろう。この前義理の弟が銭函で買った餃子を持ってきてくれて、今まで食べた中で一番ってくらいにおいしかった。銭函にあるおしゃれなカフェの紹介を最近見たような…?何だったっけ?

しろくまコーヒー」に行こう。駅のすぐ近くだし、こんな天気のいい日に海を見ながらコーヒーを飲めるなんて最高だ。

義弟が持ってきてくれた「青空餃子店」は駅から離れているけれど、歩いて行けなくはなさそう。元気があったら寄ることにする。

…と、ここで一つの事実に気づいた。JR全線不通。14時から部分的に再開とのこと。

だめだ。自宅の付近にはJRしか走っていない。JRが動いていなければどこにも行けないのだ。この分だと動いてもすごく混雑しているだろうし、帰りだってすぐに乗れるか分からない。

今日はあきらめるしかないか…台風の後だし、自粛した方がいいかな。今日無理しなくてもまた天気のいい日に行けばいいし。

だけど、どうしてもあきらめられない。近場でも何でもいい。自転車ならある。どこかいつもと違う行き先はないか。近くに気に入ったおしゃれなカフェでもあれば気分転換できるのに。

何かないかな。本当に何もない?思い出せ。どこか行きたいところはなかったか?

やっと頭を振り絞って考えついたのはTSUTAYA美しが丘店。一度だけ母が運転する車で行ったことがある。本やレンタルはもちろん、雑貨やコスメも売っている。カフェ、パン屋、ジェラート屋もある。今はやりのおしゃれツタヤだ。カフェは私の大好きな森彦だ。

自宅からツタヤに行くにはバスを乗り継がなければならない。乗り継ぎのバス停がよく分からない。似たような名前のバス停がいくつかあり、位置関係や時刻など分からないことが多すぎて頭がパンクしそう。最初のバスの出発が迫っている。

行ってみて分からなければ途中で帰ろうと決心して家を出た。予想通り乗り継ぎのバス停の位置が分からずしばらくさまよったけれど、なんとか目的のツタヤに到着できた。

念願のツタヤ!森彦!嬉しい。苦労して来たから喜びもひとしおだ。

子どもを追いかけながら店内を一周したあと、子どものおやつにもなるようなパンを買い、森彦でコーヒーを注文する。森彦の店内は無機質な感じ?メタルがむき出し?なんて表現すればいいのかよく分からないけれど、スタイリッシュな内装が好き。

そういえば私はカフェが大好きだったってことを思い出した。カフェってコーヒーが1杯500円も600円もして、安いランチに負けない値段なので私にとっては最高の贅沢。

私は居心地の良い空間にお金を出している。こんなことを言うとカフェに失礼なことは承知だけど、私はカフェにごはんのおいしさなんかは求めていない。好きな内装のカフェで何をするでもなくゆったりすることが私にとっては大きな価値だ。

子どもができてからは周りの迷惑を考えたり、カフェに来てもゆったりできなかったり、そんな贅沢できないって思ったりで全然来てなかったな。

台風の後だけど無理して遠出して良かった。

地震が起きたときに私が強く思っていたことは、あのときどこかに行きたいという強い気持ちをあきらめなくて良かったということ。

昨晩は台風だったから交通機関が乱れている。次の日にすぐ出かけるなんて不謹慎かな?

行かない理由はたくさんあったけれど、決行して良かった。このとき出かけなければしばらく行けなかった。

「人生は有限だ」という。頭では分かっているつもりでも、なかなか現実のこととしてとらえられない。でも「いつもの朝」が来ることは決して当たり前なんかじゃないと、その現実に直面してやっと気づく。

これは「好きなことを仕事にしよう」なんていう大それた話ではない。

「最近できたあのレストラン行ってみたいな」「あの映画気になってるんだよね」

こんな風に小さくても明確な願望があるなら先延ばしにせずに叶えるべきだ。いつでも叶えられるとは限らない。

「明日でいいや」なんて日々の忙しさに余裕がなくなりついつい後回しにしてしまいがちだけど、明日が来る保証なんてない。

期間が決まっているものや限定のものなら急いで叶えようとするけれど、いつでもあるものはそれが存在するのが尊いことだと気付きにくい。

でもこの願望を叶えていくことで幸福度は上がっていくし、人生における後悔は減っていくのだと思う。

こんなことは今更改めて書くような新しい気づきではない。どんな言葉で言われても、自分で実感しなければ理解できないかもしれない。でもこれから生きていく上では大切なことだと思うので残しておく。

インスタ更新再開したよ。

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asa
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