ずっとそれが言いたかった
辻村深月さんの本は以前、「家族シアター」を読んでいました。小説が苦手な私でも読みやすくて面白いというのが印象的でした。時間が経つのも忘れて読み終わった後、思わず母に「これ面白いから読んでみて」と何度も言ってしまうくらいでした。
母もそれを覚えていたのでしょうか。ある日本を買って来てくれて「あんたが前に好きって言ってた作家の本出てたよ」って。その時くれた本が「かがみの孤城」でした。
学校に居場所を無くした主人公が「お腹が痛い」と言って学校を休みがちになったりフリースクールにもなかなか行けなかった時、最初母親が機嫌が悪くなっていたの凄く鮮明にシーンが浮かんで来ました。ストレスでとある場所に行けなくなるっていう経験が私にもあったからです。私もずっとこころのように親の期待に応えないととか学校や仕事に行かないなんて世間体が悪いとか気にして生きて来ました。でもずっと何処かに、「“良い子”を演じるためにこうでなければならない。」という人間のあり方が多過ぎる日本は生きにくい国だ。どうして学校に行かない事に後ろめたさを感じなければならないのか。どうして親の期待に応えられる子どもを演じなければならないのか。「私が私で居られる場所」がただ学校とか職場じゃないだけで必ずあるのに。という考えがありました。フリースクールの喜多嶋先生、もとい「アキ」が「学校に行けないのはこころのせいじゃない」といった言葉、こころの真田美織との間に起こった「ケンカなんてそんな軽いものじゃない」「真田美織に殺される」といった言葉に「そう、それが言いたかった」って思いました。何も燃え盛る炎の中に飛び込んでいく何事からも逃げないヒーローのような生き方が正しいとは限らない。逃げることだって正しいという考えで良いんだって改めて思いました。生きている人が勝ちなんです。
最後、孤城でアキが自殺をしようとルールを破った時、1人鍵を手にしたこころはアキのルール違反をなかったことにして欲しいと言って結果アキは助かりました。ここでもしアキが死んでいたら未来の喜多嶋先生も居なかった。つまり学校に居場所を無くしたこころ、ウレシノ、フウカ、マサムネたちだって誰も話を聞いてくれる人が居ないまま自己嫌悪や否定の暗い人生を送っていたかもしれません。例え記憶がなくなってもまた再会出来れば思い出す事があるかもしれない。死ねばその可能性すらも失ってしまうことになりますから。どんな生き方でもどんな環境でも生きていれば必ず「ああ生きていて、この人に会えて良かった」とそう思える瞬間がどこかにある。そういった希望を持たせてくれる話でした。