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石の意志

私は石が好き
理由を考えてみる

石が集めてくる光がきれいだから
キラキラしたものが小さい頃から好きだった

そう、最初はそんな感じだったのかもしれない

今振り返ってみると、
音のない、人間関係のない、なんの雑念も邪魔も入らない
その世界が自由に感じのかもしれないと思う

小学生の頃コンクリートに白い石でひたすら絵を描くのが好きだった
友達といる時はけんけんぱして遊んだりしたけど
1人でひたすら描いている方が楽しかった
ほめられたことは一度もなく、手を洗うよう厳しくいわれた
石を握った手の感触、その気持ち良さを今でも鮮明に覚えている

高校生になり、バイト代は食費と漫画、石代に使うことになる
チェロを弾き始めて忙しく、そこまでのめり込まなかったけど
当時惹かれた石は「ラピスラズリ」「クリアクオーツ」「ルチルクオーツ」だった
天然石の店舗が世にメジャーデビューしたような時期だったように記憶している
雑誌の裏には怪しい高価な「パワーストーン」なるブレスレットなどよく見かけたけど、当時知識のない私でも怪しいことはよくわかっていたので利用することはなく、ひたすらお店に通っては手にとって触って、惹かれるものを購入していた。なんとなく、「パワーストーン」という言い方は、あまり好きではなかった。それは今でも石に対して失礼な気がして、変わらないのだけれど。
ともかく、ルチルは金運上がると意図し、クリアクオーツの透明感、ラピスの銀河のような世界観に魅せられながらブレスレット、クラスターを購入。深い青と透明な世界が安心感を生んだのかもしれないし、思春期で反抗期を迎えた私をサポートしてくれていたのかもしれない。外側の私を生きていたので、その当時の私はアクセサリーくらいの感覚で持っていた。

大学生の時には母に少し高めの翡翠をプレゼントした。私自身は学生生活に忙しく、石は日の目をみることなく、働き始めてからも箱の中に丁寧にしまわれていた。

私の石愛が復活したのは、16年間続けてきた仕事にピリオドを打ちたいと思い始めた頃。その3年前に母の闘病と介護が始まり、心や魂、体と健康、様々な療法や医学書など、母の病気に関する本を読みあさっていた。スピリチュアルな本や動画にもかなり触れ、無事に母の旅立ちをサポートし終えて、その後すぐに今の学びの石屋に出会う。
何を思ったのか、初めていく店で「クリスタルヒーリング」の学びを受け、きれいな石を見てそれとなく知識を得るつもりが、その可能性についてびっくりすることになる。半日トイレにこもりひたすら不要なものが体から出すことになる程、石たちの力はすごかった。ヒーラーになりたかったわけではないけれど、気がついたらその魅力にはまるというか、落ち着く、という感覚だった。根拠は何もないけど、ああ、これがしたかったのかも、という感じ。

話をする職業についていたものの、私には話をする才能が備わっていない自覚がある。ない部分を補い、少しでも生きやすくするために今までそこで修行していたのかもしれない。でも本当は内観したり、一つのものに没頭するのが好き。答えのない心理を探究していくのも好き。空想、妄想も好き。猫と会話できると思っていたし、多分動物はみんな仲間だと思っていた。そんなことを思い出したら、もう変わらないわけがなく、変わりたい欲が止まらない。

クリスタルやピアノでセルフヒーリングをするたび、自分の内側、幼い自分との対話が始まり、気がつくと退職することを決めていた。対話の末、もうここでは役目を終えた、自分のやれることを全てやり切ったのだと思ったし、今の現状を繰り返して安定を理由に惰性を感じながら残りの人生を過ごすのはもう嫌だと思ってしまった。
この時期に手元に迎え入れた印象的な石は、「レムリアンシード」「モンドクオーツ」「マニハール水晶」「アメジストエレスチャル」。どの子もパワフルで、個性的で、本来の私を思い起こさせてくれる存在たち。特にレムリアンシードとの出会いは私にとって運命的と言っても良いと思うくらいの出来事があり、別記事にしたいと思っている。

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そしてようやく本題へ‥
ここ最近は今まで閉じていた感覚を開く練習をする中で
石たちの意志を感じることが増えた。

まずは、振り返ってみると、思春期に来ていた石たちはやはりその時に必要だったのだと思った。なぜなら、昔好きだった「ラピスラズリ」は、仕事をしすぎて心身ともに強制終了がきた時の私は、つけたくない、見たくもない、今じゃない、と感じたから。これは自分でも意外だった。その時はコロナも重なった時だったけど、私はひたすら自然の中に身を寄せて体の中の不要な部分を削ぎ落としていたような気がする。急性難聴になり通院した帰り道、いちょう並木の途中にあるベンチに座ってぼーっとしていた瞬間が一番ほっとしたのを覚えている。

最近思うことは、前記事でも少し触れたように
石たちは人を見ている、反応してくれている、ということ
愛情をかけ、声をかけ、手をかけた分だけ、人と同じように変わっていく石も多い
特に透明度を備え持つ石に関しては、虹が出てきたり、色味がよりクリアになってきたりと、見るたびに違う顔を見せてくれる感覚がある
特に「石が喜んでいる!」と感じたのは、綺麗な水場(川や滝や霊水など)や海に連れて行って一緒に入浴したとき(浄化ともいう)
注意すべきなのは、気持ちよさすぎて同化していつの間にかいなくなるので程々にすることw
石の中には、水の成分も割れ目に含まれているといわれている
人が話しかける言葉によって、その水分に含まれる成分がかの有名な氷の結晶(「ありがとう」「ばかやろう」の実験)のように変化するというのも頷けるけど、実際のところは単なる受け取り手の感覚でしかない
それでも、しばらく箱の中にいた石たちが外に出されて愛情をかけていくと変化する様子を見ると、そんなこと抜きにして息づいていると思うような感覚を覚える
25年ぶりくらいに箱から出した時は、くすみがかって光を集めない、完全に眠っているような感じを受けたけど、その石たちを磨いて、浄化して、話しかけて半年、眠りから醒めたように光を放ち始め、再び虹を見せる子もいる
そんな様子を見て、「今までほったらかしてごめん、また仲良くしてね」と声をかける私
石好きでない人から見たら、ただの変人ですw
でも、それだけ石が好きだから、変人でもいいかなと思うようになりました
今では朝起きたとき、寝る前、ヒーリングの時、瞑想の時、話しかけるのが日常です
そのうち自分も石になってしまうのではなかろうかと錯覚さえするほどに‥❤︎


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ここまで読んでいただき、ありがとうございます
私の変態具合が少しずつ理解いただけているかと思いますが‥✨

この記事を見ている人にとって
変人になれるもの、
夢中になり愛をそそげるもの、
どんなことがあるでしょうか

私と繋がる機会があれば、ぜひ教えてくださいね!
コメントで教えていただいても嬉しいです♪





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