#4 「思いつく」って意味知ってる??(I先輩の教え)後編
おはようございます。こんにちは。こんばんは。FantaRegista尾田です。
前回に引き続き、「思いつく」って意味知ってる??(I先輩の教え)の後編になります!
「思いつくとは、『想いがそこに辿り着くこと』だよ」とI先輩に教えてもらったにも関わらず、その真意が分かっていなかった僕。でも、3年目にして、ようやくそれを実体験することになるのでした、、、
お先真っ暗な3年目
たしか、2000年のことだったはずだ。
クリエイティブ局3年目に突入というのに、何も活躍できていない。
相変わらずTCC年鑑を読み漁って、資料をコピーして、プレゼンボードを貼って運んで、、みたいな日々。
方や同期のM君は先輩について華々しく海外ロケなどご活躍中、、。そして年明けには当時のN部長から「いよいよ言い訳できない年になります」と、愛がありつつもキビシいメッセージの年賀状を頂戴し、めちゃくちゃ焦っていた、、、。
当時のクリエイティブ局は職制が厳格で、外部の方とお会いしても「おだくんは何?」と聞かれることが多く、「(小声)いちおう、、コピーライターです、、」と名乗ってはいたものの、「俺、世の中に出したコピーなんて無いけど、、」という後ろめたさが大きく、お先真っ暗な日々だった、、、。胸をはれる実績が欲しくてもがいていた。
そんな中、読売新聞社さんが主催する読売広告大賞という広告コンテストがあり、今は知らないが当時は創作部門があった。つまり実際世の中に出た広告ではなく、自分で創作して応募できるというもの。
それなら意志さえあれば挑戦できる。
果たして、自分がコピーライターと名乗る資格が本当にあるのか、、、
かなりの悲壮感をもって挑んだ。
お先、真っ〇
コンテストでは様々な企業がお題に挙がっており、自由に選んで新聞広告を創るというものだったが、その中で、今にして思えば運命的に、ある企業に目が留まった。
北海道へ向かって飛ぶ、新興のエアライン。
当時は航空会社と言えば赤か青しかなくて、スカイマークに続き産声をあげたばかりの会社。今でこそ当たり前になったが、当時は航空業界への新規参入はほぼ無謀なチャレンジとみなされており、確か機体も古いのしか回してもらえず、機長もかなり高齢だったはず。でもそこに、なにか既得権に抗う反骨心みたいなものを感じて向きあうことにした。
それからは、、、ただ辛かったことだけを覚えている。ともかく悶々として書きまくっていた。いわゆる業務外なので、終わってからの時間や休日を使ってやるわけだが、肉体的な苦痛より精神的プレッシャーがキツかった、、、
寝ても覚めても、ダメな自分との向き合い。ああ、思いつかない、、、どうしたら、、??? 何を書いてもダメな気がする、、、
それでも今回は、もうホントに後が無いと思っていたから、「逃げちゃダメだ×3」と自分に言い聞かせて、ひたすら向きあっていた。
それでも結局、全然ダメだった、、、
物理的には何百枚もコピーは書いた。が、自分で見てもさっぱりピンとこない。うん。ダメなのは、わかるんだ、、、。でも、、どうしたらいいかが分からない、、、
そんな失意と絶望の日々の中、
しかして、何の前触れもなく、突然「その時」はやってきた。
忘れもしない、K先輩と会社近くのパスタ屋さんでパスタを食べていた時のことだ。K先輩は人事異動で最近クリエイティブ局に来たばかりで、僕と同じく何か実績が欲しいということで、読売広告大賞に挑戦中だった。チームは組んでいなかったが、進捗を報告し合っていた。
おだっちどう? 出来てる~??
イヤー、、、(;'∀')
みたいな感じで、とは言え、具体案を見せ合うというよりは「いつ締め切りだっけ?」みたいな何気ない会話をしていた。尚どうでもいい話だが、僕はカルボナーラを食べていたことをハッキリ覚えている。
その時、降ってきた。
コピーが天から降ってきたのだ。 そうとしか言えない感覚だった。
自分が他のことを喋ってる途中のクセに、僕は突然、
「アッ! 『お先真っ白』ってコピーはどうですか!?」と言っていた。
なんだ???
何が起こった、、、?? 自分でも分からない感覚だった。
お先、まっしろ、、、???
文字通りお先真っ暗であがいていた僕が、お先真っ白、と言ったのか???
自分で言っといて呆然としてる僕に、K先輩は一言「おだっち!それだよ!!!」と言ってくれた。あの時のK先輩の笑顔は忘れられない。
そしてその作品は、見事準グランプリ(優秀賞という名だったはず)となり、読売新聞のコラムで故・天野祐吉さんにもお褒め頂いたのだった。
が、無論そんな大昔の自慢をしたいわけではない。
言いたかったのは、人生で初めて「思いついた」ということだ。
当時は完全に無意識だったが、今思えば当時の僕は自分の内面と向き合っていた。きらびやかな広告クリエイティブの世界で、まだ何者でもない自分。どうしようもなく不安で、お先真っ暗な自分、、、。
そして、その航空会社も、きっとそうだったんだ。不安の方が大きかったはず。それでも、なんとかやってやるぞ、という決意とか想いも、きっと同じだったに違いない。
だから、ひっくり返すことができた。
その航空会社は、現状、お先真っ暗かもしれない。
でも、、、飛ぶ先は、北海道なんだ!そこは、真っ白な銀世界じゃないか!!
そう、真っ白。 まだ白紙、なのだ。
自分次第で何色にでも染められるんだ、、、
もちろん当時の僕はこんな理路整然とした思考径路は辿っていない。その時は本当にパスタを食べていただけだ(笑) しかしその前にずっ――と根詰めていた想いが、ようやく僕をこんなコピーに辿り着かせてくれたのだ。
お先、真っ白。
そこに、北海道がある限り。
AIR DO
残念ながら原稿データを保存しておかなかったので、現物をお見せできないのだが、、、外部のアートディレクターであるSアニキに素敵な原稿を仕上げて頂いた。ほぼ白地にブルーのコピーだけ、というとてもシンプルなものだったが、Sさんは「何もデザインしないことが、このコピーに対するベストなデザインだよ」と言ってくれた、、、。
それから僕は、「自分はコピーライターです」と、控え目ではあるが名乗るようになった。受賞に預かったということもあるが、コピーライターがなすべきことが分かったような気がしたからだ、、、。
あれから四半世紀くらいが経ち、今でもそこまで愚直に向き合えているかと言えば、、、正直、だいぶアヤシイ(;'∀') けど、間違いなくベースのスタンスになっている。
さて、ちゃんと言ってなかったですけど、、、
「お陰様で、想いが辿り着いたんですよ、I先輩。」
そしてその時、僕のミライは文字通り真っ白。 白紙だったのだ。