夢をかなえる退職
「自分の本を出してみたい」「馬と暮らしてみたい」など、自分にとっての「夢らしい夢」はいろいろあるのだけれど、いちばんの夢は、「日常生活で理想の状態を維持すること」である。
わたしにとって「理想の状態」とは、下記の6つが満たされていることである。
①健康の心配がない:病気や加齢の影響は受けざるを得ないが、適切に医療に頼りつつ、痛みや苦しみを避けて暮らしたい。
②お金の心配がない:生活は慎ましくていいので、お金の心配をせずに暮らしたい。
③程よく良好な人付き合いをできる:ひとりでいることが好きだから、ひとりの時間をしっかり確保しつつ、良好な人間関係を築きたい。
④嫌いなことをできるだけしない:嫌いなことに時間を費やしまくれるほど、人生は長くない。
⑤時間を自由に使える:やりたいことをやりたいときにやりたい。休みたいときに休みたい。そうすることで、①や③の実現にもなる。
⑥嘘をつかなくていい:やりたくないのにやりたいふりをしたり、つらいのにつらくないふりをしたりしたくない。
家族や友人にもそうであってほしいが、ここでは自分の話に絞る。
自分にとって、これらの6つのうち「②お金の心配がない」以外を一度でかなえられることがある。それが、退職である。
退職が最強の手段であることを、わたしは過去にとあるブラック企業を休職・退職して、身をもって知ることとなった。
当時は無職になりたくてなったわけではなかったが、病気が落ち着いてから、再就職するまでの無職期間は、正直なところ、とても幸福な時間であったし、理想の生活だった(ずっと続けていたいくらいだったが、「②お金の心配がない」に影響があったので、再就職した)。
だから、将来も大切だけど、夢をかなえるために、来秋に今の職場での契約が満了になったら、退職しようと思いはじめた。
幸い、ある程度の蓄えはあるので(資産形成をしたいので、すべてには手をつけないが)、しばらく無職でいることは可能だ。またお金をどんどん増やしていきたいと思ったら、また働けばいい。
今後は、そうやってときどき無職になって夢をかなえながら、必要に応じてなんとか働く、というやり方でなんとか生きのびていこうと考えている。
生きるのがつらくて、過去に死にたいと思う時期も長くあったが、紆余曲折を経て、実は、「死にたいわけではなくて、苦しんで生きるのが嫌なだけだ」ということに気づいた。そのことに気づけたのは、無職生活での経験も、少なからず関係していると感じる。
無職になる準備はできている。先述の通り、資産をある程度増やしてきたし、一方で少ないお金で暮らす技術も磨いてきた。しかも、無職になってからやりたいことで、お金がたくさんかかることはさほど多くない。使う気になれば使えるが。
とはいえ、葛藤がないわけではない。安定した収入はやはり魅力的だし、資産形成の助けにもなる。職場の悩みで挙げられがちな人間関係も、そこまで悪くはないし、定時退社できるし、一応、在宅勤務もある。
でも、収入以外に、今の仕事を続けるモチベーションがなくなってしまった。なんというか、毎日とても疲れているし、やるべきことはほとんどやりきってしまったと感じる。病気をなんとかしながらフルタイムで働いている時点で、毎日とても疲れるのは仕方ないのかもしれないが。
また、正直なところ、今は「時間を売ってお金を手に入れる」状態になってしまっている。もちろん日々スキルは提供しているが、それ以上に「オフィスにいる代」として給料が支払われている気分だ。
わたしにとって時間はとても重要である。お金のためにやすやすと自分の時間を売りたくないのに、今それをやっている。
それに、実は、次にやってみたい仕事もある。いちばん良いのは、「お金に困らない無職であること」だから、相対的にだけれど。
今の仕事に関係しつつも、新しく学べそうで、かつ食べていけそうな、とある仕事をやってみたいと思っている。
給料は多少下がっても良いので、無職になっていったん夢をかなえたら、ぼちぼち求人を探したい。あとは自宅が好きだし、朝が苦手だし、体力がそんなにないので、在宅勤務をもっとできるところで働きたい。いずれにせよ働かなければならないにしても、嫌いなことをできるだけ減らすことはできるはずだ。
新しい環境に慣れることはまったく得意ではないが、今のところで貴重な時間を売り続けるよりも、まず無職になって夢をかなえたい。そして、その後は新しい環境で働きたい。学びたい。無理しすぎずにお金を得たい。
「かなえたい夢」について、驚くほどにスラスラと書けてしまった。勢いのままに書いたので、とても荒削りだけれど。
これだけ書いておいて、来秋に退職していなかったら、また心境の変化を書くとしよう。いずれにせよ、退職するまでなんとか無事に、今の職務を全うしたい。
そんなことを考えているクリスマス・イヴである。
おわり