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わたしが私を観るということ

 占い師であるわたしが、2023年の社会情勢をリーディングするほどに、今年は「しっかりと自分を持つことが大切」に感じてならないのです。
 そのためか、不思議にほとんど毎朝、はっきりとした夢を見ることが多くなり、その夢を解析すると「今のわたしが見える」から不思議なのです。

なぜ内観するのか?

 自分の内側を観る意識が強くなっていくと、これまで、自分の内側を見ることをあまりして来なかった人は、結構、きつい感覚に陥ると思うのです。 
 
 答えを求めているのに、答えがないことを尋ねている氣がする。
 答えが出ないのに、自分を見る。
 
 外を観るのは分かり易いけれど、内側(本当の本当の本心や自分の本質など)を見つめていくと、どんどん暗くなっていくし、精神分裂になってしまうか?くらいに分かりにくい。
 何よりも「そもそもなんでこんな事する必要あるの?観る必要など本当はないんじゃない?」って、どこかで放り投げたくなる。
 
 ただ、今、わたしはそのしんどさから逃げたくないんだよね。
 
 だって、いますごい「来てる」感じがするから。
 
 何が来てるって?
 そうだな。感覚的に伝えると…。
 
 風が変わって、温度も変わったら「あ、冬が来た?!」って感じを受け取れるようなそんな感覚で、いまのわたしの今の人生に「あ、なにか来てる!」って感じがひしひしとするから。
 
 でも、今回、わたしに起きている「来てる!」感じ、しっかり、じっくりと捉えておかないといけないような、どこか逃げられないような切迫感というか、エネルギーに感じる。
 だからこそ、今年のこれからのエネルギーの準備をしている、そんな感覚があるんですよねえ。
 
 という理由で、わたしはいま私の内側を観ています。
 
 そんなわたしがこんな情報を目にしました。

 今、外からの情報やエネルギーを入れるのをできる限り制限しているわたしなのに「ぽん!」と入ってきた情報。

2023年の時流に翻弄されないように

 ちょっと大げさな表現になるけれど、今のわたしはかなり強く日本の集合意識のエネルギーを受け取っています
 
 正直面倒です。きついです。
 今の日本ていいところばかりじゃないから。
 でも、しっかり観なくちゃ。(わたしのために、日本のために。)
 
 そんなわたしがこのニュース(今の集合意識の状態)を観て感じたこと。
 
 『ちゃんと自分の感覚を大切にして、情報だけを鵜呑みにして体を差し出し(行動)てはならない。』と感じたのです。

 そんな風に観えたのです。
 
 この情報が正しいとか間違いだとかという正義でもなく、誰が良い悪いという裁きでもない。
 
 こんなことが起きる世界にいるのだから、わたしは、本当の本当をちゃんと感じ取れるわたしで居続けたい!という思いが湧くと同時に、わたしの大好きで大切な人たちも『きちんと感じ取れる人であって欲しい』という願いが湧いてきたのです。

観るものと観られるものを感じること

 そんなわたしの思いを代弁してくれるようなOSHOのメッセージ(英語のわからない人はYouTubeの翻訳機能を使って観てね。)

 OSHOが最後に言っている『観照していると、微細だけれど、ちょっとした氣分を感じる。観照はより一層深く入っていく。その氣分を観ていく先には観るものがない。沈黙だけがある。その沈黙において大いなる奇跡が起こる。観照していたエネルギーがそれ自体が向きを変える。」
 
 
エネルギー自体が向きを変える。
 これこそが目醒め。

 これを少しわかりやすくお話してくれているのが、阿部敏郎さんのこの動画。(17分05秒のところあたりから聞くとさらにわかりやすいかも。)

 

今起きようとしている「希望」

 今、日本は内側を整えるチャンスがやって来た!という「希望に思えない希望」がやってきている。
 
 一見、世界情勢や日本の情勢は絶望に向かっているようにしか見えるけれど、OSHOや阿部さんの言うように。自分をしっかりと観ることで、反転するエネルギーが来るとわたしも思うのです。
 
 それは絶望から希望に反転するという単純なものではなく、ただ、絶望からの脱出という次元を超える状態になる(目醒める)のだと思うのです。
 
 阿部さんのいう「夢」から目醒めることができるためには、自分が今夢の中にいるこということを知るしかないわけです。
 その夢の中でずっと苦しんでいたり、浸っていると夢の中で居続けなくてはならなくなるのです。
 
 この一見絶望に見えて、希望には見えない希望は、自分を観賞することで見えてくる希望なのです。
 目醒めが近いという希望。
 
 じゃあ、どうやって自分を観賞すればいいのか?
 
 一番手っ取り早いのは「アウトプット」です。

 自分で自分が書いたものを見る(観る)。
 自分で自分が言ったことを聞く(観る)。
 自分で作ったものを自分で味わう(観る)。
 
 自分の中から出してしまうのです。
 そうすることで観ることがし易いのです。
 
 わたしはやっぱり自分を観賞するのが好きなのです。変態でしょうか。
 でも、今、深いところで確信があるのです。
 
 自分を観ていくことって私にとっては「今」のわたしに大切なことなんだという確信。
 
 自分を内観して、反転したエネルギーになった時、どう感じるのかわからないけれど、楽しみでならない…という、大いなるものを信頼する希望。

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