見出し画像

47歳からの英語学習

まず始めに。私は全く英語が出来ない。喋れないし聞けないし書けないし読めない。それはもう全く。

だが、この歳になってついに、今まで逃げ続けた英語勉強というものに取り組もう!と決意したのである。


世界への扉は開かれた

30代の頃に一度韓国を訪れた以外、今まで日本から出る事なく生きてきた。ところが、去年あたりから趣味の登山を通じて海外に行くようになった。

去年訪れたネパールはカトマンズ

縁あって、アンナプルナという8,000mの山に挑戦する人に同行させてもらうという旅である。旅行の手配から現地におけるアレコレまで、全てにおいて「おんぶに抱っこ」だったので、特に困る事なく旅を終えた。

そして今年の春も再びネパールへ行き、続けざまに台湾も訪れた。

どちらも1人で行っている訳ではないので、同行メンバーに助けてもらったり、スマホの翻訳機能なんかを駆使して乗り切る事が出来た。

海外の山に登る、という目的は達成出来てるし、無事に行って帰って来てるのだから、十分といえば十分かも知れない。

ただやはり、日本語以外でコミュニケーションが取れない、何が書いてあるかわからない、そして何より「もし1人でトラブルを解決しなければならない場面になったらどうしよう!」という不安というか、恐怖が拭えない。

ストレスからか、お腹の調子が悪くなったりもしてた。

若いうちに日本以外の世界に触れていなかった弊害なのか、はたまた生まれ持った性格なのか…。

登山にも同じ事が言えるが、誰かに頼らざるを得ない、という状況では楽しくない。自分の力でやり切ってこそ充足感が得られる。ヘリコプターで山頂に立っても何の喜びもない。というやつだ。

ネパールの山々は荘厳で美しい

そう思うのであれば、良いからさっさと英語を勉強すれば?という話だが、とかく勉強というものが苦手である。特に英語は中学生の時点で全く授業について行けてなかった。高校は農業高校の園芸科だったので、授業の約半分は専門科目で英語の授業はほんの少し。卒業後はすぐに植木屋で働き始めたので、ますます勉強というものから遠ざかった。

そして、10年ほど前にも一度、英語勉強に取り組んだ事はあるが、あっさり挫けてしまい何も得ないまま今に至るのである。

幸か不幸か世界への扉は開かれてしまった。そして昨今の日本は外国人だらけである。まさに世界の方から近づいてきた。このまま英語から逃げ続ける人生を選ぶのか。その答えは否である。

47歳からの英語勉強という自分にとっては巨大すぎるプロジェクトを挫けずに成し遂げるために、弱い自分を叱咤するために、ここに記録を書いて行こうと思う。

この挑戦が、同じような悩みを持つ人の助けになれば幸いである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?