「人間」とは。
5月24日(金)から26日(日)まで新留小学校で初のオープンスクールを実施しました!
羽釜ご飯、森のレクチャー、京大総長の山極先生による学びについての講義、味噌づくり、鶏の絞め・解体、絵のレクチャー、対話の時間、地域の方々と共に煮しめ・煮付けづくり、建築ワークショップ等々、濃厚な3日間でした。
特に印象に残ったのが、霊長学・人類学者山極壽一先生の講義です。
言わずと知れたゴリラの研究者の山極先生と3日間過ごす貴重な機会をいただきました。初日に講義をしていただいたのですが、今人類にとって必要な営みとは何か考えるきっかけになりました。
「人類は言葉の獲得以前に、仲間と繋がり集団を形成するために共感するという起点があった。」
「共感には音楽的コミュニケーション(ダンス・表情・リズム)がベースにあった」
人類にはそもそも認知革命以前に共感革命の時代があったとおっしゃっています。
この話を聞いて、2年前、松下政経塾で講義をしてくださった生命誌の中村桂子先生の言葉が浮かびました。
「人間は生き物であり、自然の一部である。様々な生き物との関わり合いの中に生きる生命。人間は共感できる唯一の生き物。」
ここでも「共感」というキーワードが。
現代を考えてみると、産業革命や情報革命によりどこで何をしてもポチッとボタンを押すだけで欲しいものが手に入る。誰かに頼ることなく1人で生きていける時代と言ってもいいでしょう。
そのような結果、本来の人間にDNAレベルで組み込まれている「共感」の機会が失われ、上手く機能していないように思えます。
孤立・孤独の問題、コミュニティの希薄化、家族の分断など様々な社会課題として問題として歪みが表出しています。
もう一度、人間とは本来どのような生き物であるかということを考え直す時代に差し迫っているのではないでしょうか。
今回、森を歩いたり、地域の方々と煮しめ・煮付けを作ったり、鶏を屠殺していただいたり、普段なかなか経験しない経験をしました。
活動内容のみを切り取って見ると「豪華な自然体験?」と勘違いされそうですが、
そう言った意味合いだけにとどまらない活動だったと思います。
普段の役職から解き放たれ属性とか立場とか利害関係なく、
森に囲まれた自然の中をフィールドに、
外から来た方も普段住んでいる方も年代も関係なく良いお湯加減で混ざり合い、
鶏やほたるなど生き物と接することを大事にして、
余白を大切に過ごしていく。
もしかしたら縄文時代の人間はこんなふうに過ごしていたのかもしれません。
教育には「不易」と「流行」があると伊那小学校の福田元校長先生が教えてくださいました。
今も昔も変わらない、本来の人間にとって必要な営みとは何かをベースに教育を今一度問い直し、語ることが必要なのかもしれないですね。