物心ついた頃からものまねが好きだった
ものまね番組は大体欠かさず見ていた
知らない歌手のものまねは似ているかどうか分からなくて
だけど観客の反応を見ると喜んでいるので、どうやらこれは似ているのだなと素直にそう思っていた
しかし、その人たちのものまねはどれも同じように私の耳には聴こえた
ビジーフォーの洋楽ものまね…笑
未だによく分からないけど、似てんの?ねぇねぇ似てんの?
ただ裏声で歌ってるだけじゃないの?
洋楽歌手がみんなファルセットで似せられるなんて、そんな馬鹿な話…おっと…
(え〜、ビジーフォーのファンの方、グッチ裕三単体もしくはモト冬樹単体のファンの方、もしおられましたら、まことに相スミマセン…決してディスってる訳ではなく、私の感性の問題でありんす)
あ、でもハッチポッチステーションは好き
人形が笑
(グッチ裕三単体のファンの皆様、もしおられましたら…まことにサーセン!)
グッチ裕三は料理が上手いらしいね!!!
さて、ご本人様登場の場面はいつ見てもなかなか良いものである
衣装や髪型も合わせてくれてるので、同じ人が本当に2人いるように見えたり見えなかったり…いや、見えんし!
やっぱり違うにんげんだもの
本人は本人だし
ものまね芸人の作り物感がより強調される
しかし、この世にもう一人自分がいたら…と想像したことは幾度となくある
コピーロボットがあれば、ロボットに嫌なことはやってもらって、本人はぐーたら過ごしたい、とか
パラレルワールドにいる私は一体どんな生活をしているのだろうか、とか
本当にそんな世界になりつつある
アバターとかアンドロイドとか
でも本当は話し相手が欲しかったんだと思う
いや、未だに欲しいと思ってる
もう一人私がいれば、好きなものも嫌いなものも同じだから、絶対に話が合うに違いないから
今は簡単に同じ趣味の人との繋がりを持つことができる時代である
でも、そんな時代になっても私は
私の好きを誰かと話したりはしていない
話したとて、やはり微妙なズレを感じてしまうからだろうか
話が合う人と出会った
初対面なのに不思議と馬があった
なかなかないよな〜こんな出会い、と言うくらいの出会いだと感じた
しかし、次にあった時にとても不愉快な気分になった
多分お互いにそう思っていた
色々考えた末、その人とは距離を取ることにした
好きを誰かと共有したい気持ちはあるけど、同時にどこか虚しさも感じてしまう
だから、好きという感情は自分の中で噛みしめるのだ
それが私にはしっくり来るから
自問自答の日々である
ものまね芸人はいつしか本物を凌駕してしまうほどの存在感を放つことがある
この前ユーミンの番組を見ていて思った
『ユーミンって、思ってたより声高いし、声出るんだな』
そうなのだ、私の中にあったユーミンはいつの間にか清水ミチコverに取って代わられていたのである
清水ミチコがむしろ私のユーミンだった
だけどユーミンは清水ミチコではない
(当たり前)
そう考えるとものまね芸人の罪は重い笑
いや、私の脳がおかしいのか
自分は一人で十分である