たまたま訪れたスナックの店主に心を奪われました
10連勤を終えた身体は、もうクタクタに疲れ切っていた。明日は久しぶりの休み。
ひたすらに寝ていようか、気分転換にどこかへ出かけるか、やりたかったゲームを進めるか…どうしようかな。
そんなことを考えながら家までの道を歩いていると、小さなスナックを見つけた。
あれ、こんなところにこんなお店あったっけ……?
何とはなしに興味を掻き立てられて、僕の足は自然とスナックの入り口へと進んでいった。
扉を開いて、中に入る。
僕以外にお客さんはいないらしい。
「あの、すいませーん」
『……え、お客さんですか?』
カウンターの向こうから顔を出したのは、おそらく店主の女性。
とてつもない美人で、一気に胸の鼓動が早くなるのがわかった。
『お客さん、ですよね?』
「…あ、はい、そうです」
『嬉しいです、滅多にお客さん来ないので』
「えっと、ここってスナック…ですよね?」
『はい、でもお酒は一切出してません』
「ええっ!?そうなんですか?」
『…帰っちゃいますか?』
彼女が綺麗な瞳で真っ直ぐにこちらを見つめてくる。
そんな目で見られたら、帰るわけにいかないじゃないか…
「……いえ、帰らないです。注文いいですか?」
『ふふっ、ありがとうございます』
「あ、お名前は…」
『村山美羽です、美羽って呼んでください』
「わかりました、美羽さん」
『お客さんのお名前は?』
「●●○○です」
『○○さん』
「えっ…」
まさか下の名前で呼ばれるとは思っていなかった。
美羽さんのような美人に下の名前で呼ばれたら、それだけで照れてしまう。
『どうしたんですか?○○さん』
「あ、いや…なんでもないです」
美羽さんが出してくれたのは、お茶とお団子。
『美味しいですか?』
「美味しいです、めっちゃ」
『ふふっ、良かった』
美羽さんの笑顔に、すでに心を鷲掴みにされている僕がいる。
「1人暮らしで普段の夜ご飯とかは1人が多いので、久しぶりに誰かと過ごせて嬉しいです」
『○○さんは年齢おいくつですか?』
「高卒で働き始めたので、今年20の代ですね」
『えー、私と同い年だ』
「あ、そうなんですか?すごい大人っぽいから年上の方かと」
『ねえ、同い年ならさ、もう敬語やめない?』
「……!!!」
同い年であることがわかっただけでも少し嬉しかったのに、向こうからタメ口を勧めてくる破壊力たるや。
僕はもう、美羽さんの手のひらの上で転がされているのかもしれない。
「は、はい、美羽さん」
『もう、敬語だしさん付けだし』
「だ、だって、急すぎるというかなんというか…」
『いいじゃん、その方が話しやすいでしょ?』
「そうかもしれないけど!」
『ほら、美羽って呼んでよ』
「……み、美羽…」
『なーに、○○』
これはもう、完全にイチャイチャカップルがすることではないのか!?
あまりの気恥ずかしさに、顔から火が出そうになった。
「や、やっぱり恥ずかしい!」
『ふふっ、○○って初心なの?』
「美羽がグイグイ来すぎなんだって!」
『えー?○○はイヤ?』
「イヤじゃないけどさ…」
『じゃあ問題ないよね』
美羽に振り回されっぱなしで、心はずっと落ち着かないままだった。
『そんなに仕事忙しいんだ?』
「今日で10連勤終わり。ほんとに疲れた、やってらんない」
『それじゃ、歌おっか』
「え、なんでそうなるの…?」
美羽がマイクを手に取って袖にあったモニターが起動、まるでカラオケのような機能つき。
しっとりとしたバラードを歌う美羽の歌声に聴き惚れた。
『どうだった?』
「いや、めっちゃ上手かった…美羽の歌声、好きだな」
口に出してはっ、と軽いパニックになる。
今のは別に深い意味は、とフォローしなきゃ!
『ふふっ、ありがとう』
ところが、美羽は意に介していないようで嬉しがっていた。
その様子を見たら、こっちがまたパニックになりそうだ…
「あ、もうこんな時間か…そろそろ帰ろっかな」
『家で待ってる彼女がいるの?』
帰り支度を始めようとしたタイミングで質問され、また心が跳ねた。
「彼女はいないよ、そんな出会いもないし余裕もないし」
『ふーん…』
「美羽は?彼氏とかいるの?」
『内緒』
「なんだよ、人に聞いておいて自分は答えないって」
『知りたいんだ?』
僕の心を見透かしてくるかのような、美羽の表情。
もう美羽に心を奪われているのを認めざるを得ない。
「まあ、知りたい…かな」
『そっか、じゃあさ…』
『1週間以内に、また1人でうちに来て』
「え…?」
『1週間以内だよ、友達とか会社の人とか連れてきちゃダメだからね?いっぱいサービスしてあげるから』
『女友達とか連れてきたら、許さないから』
「み、美羽?」
『それじゃ、また来てね?絶対だよ?』
美羽に押されるように、店を後にする。
今日出会ったばかりなのに、僕の心の中はもう美羽でいっぱいだった。
『ふー疲れた、このあと飲み行く?』
「ごめん、今日ちょっと予定あってさ」
『んー?なんだ、○○についに彼女か!?』
「彼女じゃないよ、けど…彼女かも」
『なんだよ、はっきりしねぇなあ』
『なんだかよくわからんけど、頑張れよ!』
「うん、ありがとう」
同僚の誘いを断って僕が向かった先は、言うまでもない。
今日は彼女と、どんな時間を過ごせるのだろう?
そう考えただけで、心が躍るのだった。