ニチャリスト・ジュエリスト
こんにちは、重音です。
初投稿です。
インフルエンザ療養中につき、時間が無限に存在するので、タイトルの通り私の略歴と痛車を始めた経緯について語ります。(痛車といっても大したものではありませんが.…)
文章力が皆無ですので、誤字脱字、ここの言い回しがおかしい!等多々あると思いますが目を瞑っていただけますと幸いです…
まず初めに、そもそも痛車に興味を持ち始めたのはいつかと言いますと、時は中学生時代まで遡ります。2015年とか16年とかですね。リゼロとかユーフォとかこのすばとかの時代です。女児系コンテンツだとまほプリとかプリパラ2期とかの時代です。まほプリを初めとした女児コンテンツは当時何故か中学校で流行ってました。本当になんでだったんだろう…
(ここら辺のコンテンツに出戻りするなんて当時は全く思ってませんでした。むしろこういうコンテンツは苦手な類だったと記憶しています。)
当時はアニメ好きの肩身がかなり狭く、「アニメが好き!」なんて言おうものなら、その先に待っているのは死しかありませんでした。当時も仲の良い友人2人とコソコソ東方Projectについて語り合っていたような覚えがあります、ゆっくり実況とか、当時新作だった紺珠伝の話とか、人気投票の話とか、沢山したなぁ…(この友人、実は後で出てきます。)
時は進んで高校生時代、この頃になって自転車にステッカーをペタペタし始めます。誰もが通る道ですよね。
高校生時代に原付免許を取らなかったので、無免のままオタクを続けていたのですが、当時はバンドリにめちゃくちゃハマってました。ライブ初参戦もこの時期でした。帰りのバスに乗れなくなりかけてガンダした思い出。
当時は他のオタクの車に乗せてもらうことはあれど、痛車はおろか、自分自身が車を持つことすら想像していませんでした。
働いて稼いだお金はすぐグッズに消えていたので、車を買うほど貯金できるなんて到底思わず…
ここら辺になると時が経つのがとっても早く、地獄の受験生期間を経て、どうにかこうにか志望校に一般入試の最後の最後で滑り込むことが出来ました。この辺はオタク趣味とかもう何もしてなかった.…いや、11月末くらいにライブ行ってましたね。
(奨学金のことは考えたくもないですね。まだ一銭も返してません。)
そんなこんなで大学に通い始めた訳ですが、コロナウイルス大流行で入学式すらなく、家で暇を持て余すことになりました。そんな時に始めたのがそう、無免キッズ最強のバイブル"Carparking MultiPlayer"、カーパとかいうやつです。(実はこの辺りからこのアカウントを使ってたので、ツイートは掘れば出てきます。黒歴史やめてね。)
無課金で車に好き放題ラッピングができたので、この時に創作の難しさ、楽しさのようなものの初歩を学んだ気がします。
一方現実の方はと言いますと、コロナが一旦落ち着いた夏休みに無事免許を取得いたしました。やったね。
ここでなんの気なしに友人と見に行った痛車天国(大阪)でかなり刺激を受けて帰ってきました。
「いつかこの場に展示出来たらな〜」なんて考えていましたが、この時は車のローン返済に必死で、2日くらいで現実に戻されました。無理して新しい車なんて買うから…
この先は早速貯金でやっすい軽バンでも買ってチャリ積んで(当時チャリも好きでした。これもみんな通る道。)、最高のカーライフ‼️を楽しむ予定だったんですが、コロナ明けの初回通学時に世界が変わる出来事が…
そう、"自動車部"の存在を知ってしまったのです。
公式アカウントにDMを送って、見学後即入部を決断しました。ここで入部していなかったら今このアカウントでは多分ドノーマルのシエンタとか軽バンとかに乗ってます。いや本当に。人生何があるか分かりませんね。
学部生時代の4年間(2年次からの入部だったので正式には3年間)自動車競技を通して沢山の知識・経験、そして沢山の同士を得たことで、
「自分でも"そういう類"の車を維持していけるのでは…?」
と悪い考えをしだしたのがこの時期です。
この考えに至れば次やることは決まっていますね、
そう、納車です。
なんかちっちゃい乗り物をたくさん納車して、色んなところに行きました。直して壊れて直して.…
結局どうにもならんくて売っちゃったりもしましたが。
そして乗り物を破壊し続けていくうちに
「これ、どの車買ってもわりとなんとかなるんじゃね?」
と調子に乗るのがオタクの悪いところです。そこで昔から気になっていたスバルレックスに狙いを定め、ヤフオクとTwitter、ジモティーと睨めっこする日々数ヶ月、ついにヤフオクに5速スーチャーのレックスが!
ありったけのお金を集めて、20万ちょいくらいまでは頑張りましたが、もちろんそんな金額で終わる訳もなく…結局45万くらいで終了していたような気がします。
こんな日々を毎日繰り返し続ける間にオタク趣味にも変化がありました。そう、女児系コンテンツにハマり出しました。
卒業研究が思うように進まず、徹夜で研究室に篭もり続け病みかけていた時…突如YouTubeに
「スマイルプリキュア!第1話 誕生! 笑顔まんてんキュアハッピー!!」
のオススメが。名前だけしか知らんな〜と思いつつ、なんの気なしに視聴してみると
そこは天国でした。
ガチでこの作品がなかったら学部卒業できてないです。本当に。
研究で疲れきった頭でも大筋がきちんと理解できて、元気な時にもう一度見返すと新たな気づきがあったりして…ほんとにめちゃくちゃ面白かったです。ちょうどプリキュアが20周年だったこともあり、世間的にもプリキュアムードがちょっとありました。映画とかもすごかったですね。ちゃんと泣きました。そんなこんなでどっぷり女児沼へハマっていくことに…
ある程度見進め、10作品くらい完走したところで、「もっと刺激が欲しいな.…」と逆張りオタクが発動し、「アイカツかプリパラか…」、「プリパラの方が1期の話数少ないしプリパラかな…」とか言ってプリパラを見だしたわけですが、これが自分の中の"鍵"が開いた瞬間でした。
まず、OPが良すぎる。なんだこれは!!となったのを今でも鮮明に覚えています。
見ていない人は死ぬまでに一度は見てほしいのですが、1期は「今、主人公(らぁらちゃん)たちは何をすべきなのか」みたいなのが常に明確に示されていて、とっても見やすかったのを覚えています。そしてメイキングドラマとかいうトンデモシステム。考えた人に拍手。
実は見始めたのはめちゃくちゃ最近なんですよね。3話から推しがブレてなくてえらい。そしてこいつはまた研究に行き詰まってますね。
これまでのプリティーシリーズのコンテンツは、ワッチャプリマジスタジオを数える程しか触れたことがないレベルでした。(フレカすら作ってない)
ハマるのは一瞬で、2期を見始める時には周りの友人も巻き込むことに成功し、3人で通話をしながらプリパラを同時視聴する神の布陣が完成しました。今見た話の感想を直で共有できる環境があったのが強すぎましたね。これがあったから尚更ハマっていきました。
そう、この友人こそが、中学以来の友人2人なのです。おもしろいね。
2期もボロ泣きしながら完走し、3期に突入したあたりで友人から衝撃の発言が。
「俺、痛車やるわ。プリパラの。」
最初にこれを聞いた時は頭がおかしくなったのかと思って本当に病院を勧めようかと思いましたが、聞いているとどうも本当に真剣なようで。
かといって2人とも知識も経験もないし…困りに困ったところで必死に過去の記憶を辿ると、2台の痛車が.…
「あれ…そういやこの2台ってどちらも"痛物工房"ってとこで施行してもらったよな…なんならシリウスEGに関しては仕上がり時一緒に引取りに行ったよな…」
そういえば当時乗ってたミラ、リアガラスにポスカでイラスト描いてました。俗に言うポスカ痛車ってやつですね。これはこれでとても気に入ってました。
そして当時少し考えていたのが、
「"女児"という一見敬遠されがちなコンテンツを、いかにして車に落とし込むか。」
というものです。とある痛車に出会い杞憂に終わるんですが。
話が脱線しましたが、急遽プリパラ痛車をSoLaMi♡SMILE単独ライブまでにやる(実は期限が迫っていました。)と言い放った友人のために自分が出来ることといえば、自力でデザインして、唯一知っている店、痛物工房さんに出力・施行を丸投げすることでした。
(今考えると、最終先行終了時点で抽選に全落ちし、そもそもチケットすら持っていない意味不明な状況でしたが、当時はそんなことを全く考える余裕もなく…)
1週間で毎晩のように通話をし、納得のいくデザインをなんとかひねり出し、痛物工房へいざ出陣。
心配しすぎて寝ることすら出来なかった(ガチ)納期はなんとかクリアし、あとはデザインがどうか…と言ったところでしたが、こちらもなんとかクリア。
画質調整や切り抜き部位などの追加、そしてデザインの修正提案ってある程度店側がしてくれるものなんですね、思ってたイメージと違って驚いた覚えがあります。
全くの未経験から何とか痛車完成まで持っていくことができ、完成度云々よりも達成感が勝りました。そして同時に痛車作成の一連の流れや、自分のスタイルに合う施行業者の選び方などとても沢山の学びがありました。
そして無事、SoLaMi♡SMILE単独ライブへ、出走───
痛車で現地に行くって、楽しーーーーーー‼️‼️‼️‼️‼️
人の車を自分の車のように乗り回してた覚えがあります。こんなに楽しいんだ、痛車って。
そんなこんなで自分の車にも女児を貼ることを決意しました。これまで貼る貼る詐欺をし続けていましたが、ここで本当に決心がつきました。
目標を、長年の間夢見ていたイベント「痛車天国」への展示、そして「プリティーシリーズ Crossing Live 2024」に自走参加することに定め、まずは貼る車を探そう.…というか、実はこの時既に手に入れていました、あの車を。
そう、レックスです。
時は遡ること、SoLaMi♡SMILE単独ライブの少し前、Twitterにてとある投稿が(削除済みなのでうろ覚えですが、概ねこんなんだったと思います。)
「レックス 委託出品 マニュアル 車検残ってること以外詳細不明 12万」
じ、12マン─────⁉️⁉️⁉️⁉️⁉️
買いまーーーーす‼️‼️‼️‼️‼️‼️
と、いうわけで栃木の足利まで取りに行ってきました。鬼のスケジュールでしたが、引取りに同行してくれた他大車部の後輩へメガビッグ感謝。
そんなこんなで種車は手に入れていたので、あとはデザインして貼りつけるだけになりました。ここからが一番楽しいところですね。
まず、キャラクターは南みれぃさんに素直に決定..…しませんでした。
というのも、みれぃさんはポップを売りにしているアイドル、みれぃさんの着用ブランド「キャンディアラモード」は皆さんご存知の通りカラフルな衣装がとても多いんです。これを白単色のレックスに合わせられる自信が自分にはありませんでした。
衣装チェンジやプリパラチェンジ前の所謂「みなみみれぃ」を貼ることも考えたのですが、衣装チェンジは無理やり感があるし、みなみみれぃを貼るのもなんだかなぁ…といった感じで決められずにいました。
てなわけで他のキャラも候補に挙がってくるようになります。ファルル(プリパラ)とか夢川ゆい(アイパラ)とか、だいあ(プリチャン)とか、天羽ジュネ(プリリズRL)とか、星川みつき(アイプリ)とかは結構真面目に考えてました。
ここは後に知り合うことになるきむろんさんの仰られていた、「好きなキャラを複数人集めて、車と照らしあわせて合いそうな子を選択する」行為そのものだったなと今になって感じます。
色々やってみますが、どのキャラもしっくりこないな…となってた時に、友人から神の一手が。
「一番貼りたいやつを貼れば?」
この気持ちを完全に忘れていました。どんな行為もイキす…行き過ぎはよくありません。(あの野〇先輩も言っていましたね。)
「車に合うキャラ」ばかりを意識してしまい、痛車本来の意義みたいなものを完全に忘れていました。こういう時に軌道修正してくれる友人がいる事がとても嬉しかったです。
ここからは何故かトントン拍子に話が進んでいったような覚えがあります。
アニメ視聴時からずっと好きだった「ウィッシュリボンコーデ」の使用、「アニメイラスト」の使用、「クラシカルなテイストの痛車(90'sくらい)」の三本柱はこの時に大体完成していました。バックボーンは意外と後から生えてくるんだな〜なんて呑気なことを考えていた覚えがあります。他人事だね。
この三本柱のおかげで痛車本体のデザインは本当にサクサク進んでいきました。
「90年代に女児痛車があったとしても、そんな大々的には貼らないよな〜」
↓
リアガラスのみに施行
「背景もシンプルな方がいいよな、でも大胆なデザインにしたいな」「当時の流行はなんだろう?」
↓
RVステッカー風デザインの採用
「あとは…ウィッシュリボンのアニメ絵…」
「そうかRealize!か‼️」
↓
貼るイラストの決定
あとは先日の友人の施行後に見えてきた課題をもとに、とにかく施行しやすく剥がれにくいデザインを作成し、痛物工房さんへ…
(Webで打ち合わせを全て済ませていたので、現地では施行のみでした。)
実は予め店に提出しておく必要のある、ステッカー貼り付け部分の採寸を死ぬほど適当にやってしまっていたので、施行完了までの間とってもヒヤヒヤしていました。
デザインについてもうひとつ、自分自身はただの大学生なのでアルバイトでしかお金を稼いでいません。ですので車以外にかけるお金が全くと言っていいほど存在せず、PCは大学貸与品の物しかもっていないため、スマホで1から100までデザインを行いました。(PCを返却しろと言われてからのらりくらりかわし続けてそろそろ1年です。やばいかも。)
そうこうしてるうちに.…
できた‼️‼️‼️(施行時間15分)
この時はめちゃくちゃ嬉しくて、今すぐにでも報告したかったのですが、どこかの誰かが言ってた
「施行ツイートはちゃんと撮ってもらった写真でやるのが好ましい」
との言葉を思い出し、慌てて下書きを削除した覚えがあります。
この後自分自身が長期インターンシップで県外に半月滞在したり、レックスのタイベル交換などが重なり、気づけば9月中旬に.…
ここである事実を思い出します。
「みれぃさんの誕生日、10/1じゃん‼️‼️‼️‼️」
のんびりしてる暇はありません。誕生日に施行ツイートをすることこそがオタクの掟。オタクの流儀。最も良いとされている行為だからです。
ここであたふたしてる自分にフォロワーのさわざわさんから神の一手
「当時物のラジオステッカー貼らない??」
これ、マジで神の一手でした。フリマアプリを探しまくって当時物のFM802ステッカーを購入。なんでこんなものを貼ったかって…
そ‼️‼️れ‼️‼️は‼️‼️
「ステッカーに車を貼ったら、ラジオでナンバーを読み上げてくれる⁉️⁉️⁉️⁉️」
と、いうことはですよ
「301(みれぃ)ナンバーを取得すれば、ラジオの放送に実質的にみれぃさんの名前が流れるのでは⁉️⁉️⁉️⁉️⁉️」
気づいた時には軽自動車検査協会へと足を運んでいました。そう、番変です。
これでパーツは揃いましたね。車を買ってすぐにホイール(謎の外国人から購入)と脚(事故車からもぎ取ってサンコイチ)は揃えていたので、あとは全てインストールすれば最強の車が出来るのでは…⁉️
と、この時点の自分はワクワクでした。
いよいよ施行ツイートです。ここまで長くてごめんなさい。写真は先程も登場さわざわさんに撮っていただきました。本当にありがとうございます。
施行ツイートできてよかったね🫶
だと、思いますよね?日付をよく見てください。
そう、お漏らしです─────
みれぃさんの誕生日10/1よりも車の完成が早すぎたため、待つことが出来ないオタクの悪い癖が出てしまいました。死んだ方がいいのでは?
最後までグダグダでしたが、自分の場合はこんな感じで痛車施行までこぎ着けました。
車の制作に関わってくださった方々や助言をくださった方々、出力・施行を快諾していただいた痛物工房様、そして2人の友人に本当に心から感謝いたします。
最後に、痛車作成の目標として挙げていた「痛車天国」、「プリティーシリーズ Crossing Live 2024」についてお話させてください。
まず初めに、痛車天国です。
そのときは唐突にやってきました────
話の流れで痛天(静岡)の展示が決まってしまいました..…どうしたものか.…
追加施行とかも一瞬考えたのですが、あくまでコンセプトをブレさせずに行きたいなと感じ、コツコツ集めていた"当時物"のプリパラ関連グッズを携え、スペックシートまでちゃんと用意して無事展示にこぎ着けました。
そして、スペックシート用イラストを描いていただいたなつさんには多大なる感謝を────
というか、なつさんの絵は本当にいい絵ばかりなので、皆さん見てください。本当に。ここまでこのnote見るくらいならなつさんの絵を見て。
てなわけで、夢の舞台に立つことができて超満足でした。
はしゃぎすぎたのか、2日目に同行者と自分2人とも体調を崩してi☆Risのライブをキャンセルしてやむなく帰宅したのはまた別のお話…
次に、プリティーシリーズ Crossing Live 2024です。こちらはライブ以降のお話がメインとなります。
このライブ自体は先述のSoLaMi♡SMILE単独ライブの際に発表がされていたので、ある程度余裕を持って車の準備をして臨むことができました。
パシフィコ横浜までノントラブルで往復できるように、破れたブーツを交換したり、アライメントを取り直したりなんかもしました。意外と手がかかってます。
あ、ETCなんかも付けてもらったりしましたね。
そんなこんなで到着し、ライブに行きました。とってもとっても楽しかったです。ずっと泣いてました。インディビジュアル・ジュエルが良くって.…(またこれはどこかの機会で)
実は一番話したいのはライブ終わりで、自分が関東に来ることを前もってツイートしてたら関東のイケ・ケジド乗り(イケてる軽自動車に乗ってる方々の意)さん達がこんな告知をしてくださって.…
これだけでも嬉しいのに、現地に行ったら30台くらい車がいて.…誰にも言ってなかったんですが、実は帰り道ちょっと泣いてました。嬉しすぎませんか??こんなことあります??あとお土産で絵まで描いてもらったりしちゃって…嬉しすぎて"顔ない"ってきっとこの事なんだ…と。
まだまだ終わりません‼️‼️‼️‼️
先述の自分が未来永劫一番好きな痛車、リコマーチを製作されたましまろさんがこのオフ会にいらっしゃいまして…!!!
本当に嬉しくってちょっぴり涙ぐんでました、涙脆すぎる。
めっっっっちゃくちゃ沢山いろんな話が出来まして感謝感激…とっても楽しい時間でした!
改めて、このような場を設けて下さり本当にありがとうございました。
てな感じで、レックスは来たる車検に向けての整備、そして冬仕様へのフォームチェンジ(プリパラチェンジ?)を頑張っていけたらなと思います。おわり。