X-MENシリーズ総復習第1回 ウルヴァリン:X-MEN ZERO
デッドプール&ウルヴァリンの衝撃から過去のシリーズ作品(映画)を見直しているのですが、せっかくなので感想を書いていくことにしました。
一応、制作順でも時系列順でもなく見たい順番に見ていきます。
ではまず「ウルヴァリン:X-MEN ZERO」から。
ウルヴァリンの原点が描かれている作品ということで、私の最も好きな作品でもあったのですが、久々に見て割とあっさりした印象だったのが自分でも意外でした。むしろこれの後にに見た「LOGAN」の方が印象深くて、公開時とは逆。
もちろん、今もこの作品好きですし、傑作であることは間違いありません。
ひとつひとつのシーンや映像は素晴らしく、ファンの見たいものをテンポよく全て見せてくれている。ただ、2時間程度の尺で生い立ちから記憶喪失に至る顛末まで描いているので、表面的にならざるを得ない部分もあるように思いました。
そんな中で今回思ったのは、ローガン/ウルヴァリンは内面、割と普通の人なのだということ。あり得ないほどのトラウマを抱えていたり、普通の人間にはない強さを持っていたりするけれど、根本には人間的な良心があって、傷ついたり恐れたりする。人間の本質的な善良さが核にあって、人生の理不尽や不条理に苦しみ、歪みや欠落を抱えて苦しんでいる。だから感情移入できるのだと思うし、ヒュー・ジャックマンという俳優の個性も加わって、激しさの中に何か繊細なものが加味され、強烈な個性になっている気がします。
あと我ながら驚いたんですが、この映画にもガンビットが出ていることをすっかり忘れていました。かっこいいし、いいやつだし、割と重要な役割なのに何故。ウルヴァリンが記憶喪失にならなければこの2人はバディになれた気がするので、最後が悲しい。
それからこの映画のウェイド・ウィルソン、やはりお喋りな男という設定で、記憶にもそういうキャラとして残っているのですが、デッドプール3作品を見た今となっては「そんなに喋ってないよな」とすっかり印象が変わってしまいました。そして最後のウェポンXIが強すぎて笑った。細かい設定を忘れていたけど、今見ると変なゲームの全然倒せないラスボスみたいです。
ところで、ウルヴァリンとデッドプールには「騙されて体を改造され、改造した人間と対決する」という似たような経緯がありますが、自分を騙して改造する誰かというのは、自分を都合のいいように利用しようとする毒親のようなもので、ある種の親殺しの物語なのだろうかと思ったりします。そうだとして私が悲劇だと思うのは、毒親(改造者)を殺しても殺さなくても、改造された体は元には戻らないというところ。
毒親育ちの人間は、親離れを果たしても不可逆的な歪みと痛みを抱えながら残りの人生を生きていかなければならないのだと、別にそんなメッセージは込められていないと思いますが、なんだか身につまされた気持ちになってしまったのでした。
とにかく彼の人生の旅路はここから始まって、その行き着く終着の1つが「LOGAN」であり、もう1つが「デッドプール&ウルヴァリン」であると思うと感慨深いものがあります。一方は過酷で壮絶な死であり、一方はお伽話のようなハッピーエンドだけど、最後は自分にとって正しい行動をしたということと、大切な何かを掴んだという点では共通しているようにも思えるのです。
という訳で、次は「LOGAN」について書きます。