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[劇薬]PERFECT DAYS | 1
「癒される」、「日常の小さな幸せを再認識できる」、「自由っていいな」
そんなハートフルな感想が散見されるヴィム•ヴェンダーズ監督の「PERFECT DAYS」。
この映画は、説明的ではありません。主人公である平山の過去や周囲の人間との関係性、遍歴などはほぼ一切が映されていない。これは逆に、観る者に対して背景や心情、様々なことを想像させる余地を残しているとも言えます。
説明的ではない、もしくは抽象的な作品が好みの私にとっては非常に好みではありましたが、初めて観た後はやられてしまって暫く動けませんでした。大御所である役所広司が語らずに見せる演技の神髄を垣間見ることが出来た気がしますね。
さて、私がどうしてかの映画を前述されるようなハートフルムービーではないと言うのかというと、諦念にも似た感覚を随所に感じたからです。
諦念
諦念とは諦めることという意味の他に、悟りを開くことという意味もあるようですが、この言葉が一つ、私が鑑賞後に強く受け取ったテーマであります。
より映画に沿って話せば、「日常はどうしようもないことばかりが起きても、過ぎてゆく。変えようとしても変わらないし、同じでい続けようとしても変わってしまう。自分の思い通りにはならない、ままならないものだな。」という想いです。その諦めの想いを儚く包含した、PERFECT DAYS、完璧な日常なのだと。
以下では映画のあらすじや内容を説明しておりますので、ご注意ください。
トイレ清掃員 平山の日常
主人公である平山はトイレの清掃業を生業としている。一日にいくつかの担当箇所を巡って掃除し、夕方ごろにはその仕事を終える。朝は起きて洗顔をしてひげをそり、育てている植物に水をまく。その後家の前の自販機で買ったカフェオレを飲みながら車でトイレに向かう。仕事が終わると一度かえって来て、家には風呂がついていないため銭湯へ行く。その後地下街にある馴染みの居酒屋でお酒を飲む。非常にルーティン化されている日常。他者にはつけいる隙がないような一日だ。その後は家に帰って、古書店で買った文庫本を読んでから寝る。朝起きてまた洗顔をして・・・。この繰り返しだけです。そして休みの日には洗濯をしにコインランドリーに行ったり、本を買いに古書店へ寄った後に、綺麗で歌が巧いママがいる、大きくはないけれど綺麗で落ち着いた雰囲気の居酒屋で一杯。
彼の日常の中には、趣味のようなものを描写する場面が幾つか存在する。その一つが写真だ。といっても、本格的な一眼などではなく、古いタイプのフィルムカメラである。仕事のお昼休憩時にはどこかの公園のベンチに座り、コンビニで買ったであろうご飯を食べながらいつも同じ木の写真を撮るのである。この習慣は非常に長く続けている様子が彼の部屋の一部をみると察せられるが、額縁にいれて部屋に飾るわけでもなく、四角いお菓子の缶にいれては保存しているだけのようである。そして彼には、妹とその子、彼にとっては姪にあたる存在がいるようである。突然平山の家に姪が家出をしてきたことでそれが発覚した。
さて、これまでの内容以上のことは正直、映画には描かれていません。細かな人物像のデティールや、行きつけの店のママの元夫との邂逅(修羅場?)など、非常に重要なシーンは他にもありますが大まかな平山氏の日常はこんな感じになります。過去についても今についても多くは映さず、想像させるためのおもちゃは渡してくれても、遊び方は教えてくれません。そしてそうです、既にご存じの通り、映画によくあるようなドラマティックであったりスペクタクルなシーンというものは一切ありません。
どうでしょう。平山氏の日常をどのように感じたでしょうか?
実際に観たことがある方はどうでしょう?
やっぱり自由だなぁ、平和だなぁ、うらやましいなぁ、と感じましたか?
刺激が足りない、もっと非日常的な方がいいなぁと感じた方もいるかもしれませんね。
絶望と苦悩、そして諦念のPERFECT DAYS
巷で言われるような感想とは、全く異なる感想を私は抱きました。この映画は癒し映画などではなく、むしろ絶望と苦悩が緻密に描かれている人間らしい映画なのだ、と。
*あくまで私個人の解釈、見解、感想でありますので癒し映画としての感想をもっていらっしゃる方を否定するわけでもありません。個人は個人の感想をそれぞれに抱くことは自由ですし、束縛されてはいけません。一個人の戯言だと思ってください。
平山氏はトイレ清掃でシフトが被る柄本佑さん演じるタカシから
「何を考えているのか分からない人」だと言われています。彼の言動、特に対人に対しては大きな感情の動きをあまりみせていません。柔らかく微笑んだり、少し怪訝、不思議に思ったりといった表情は見せるものの、激しい憤怒や悲哀、歓喜を特に人前では見せないのです。しかも多くを語らない、いうなれば無口な方でしょう。姪が来た時も、妹とあった時も、ママの元夫と話した時も、決して何かを語ることはありませんでした。少しだけ話して、あとはどこか寂しそうに微笑んだり、涙をこらえたように佇むだけなのです。
しかし、彼は全く涙を流さないか、笑わないのかというとそうではありません。独りの時に、彼は泣き、笑うのです。特に印象的だったのは、やはりラストでしょう。彼の瞳の輝きは、笑みは一体何を表していたのか。
皆さんは何を思いましたか?何を感じたでしょうか?
平山の苦悩と絶望、そしてPERFECT DAYS
私は、あのラストを観た時に、映画に描かれることのなかった彼の絶望と孤独を、怒りと諦めを感じました。何故か?
彼はトイレの清掃業をしていますが、自分自身で仕事のための道具を自作して、一切手を抜かないひたむきな姿は仕事自体に誇りや楽しさを見出しているように思えますし、多少なりとも不満はあれど幸せな日々を送っている、ように見えます。
しかしやはり、ポイントとなるのは彼の妹の存在でしょう。この映画における彼自身の感情の起爆剤ともいえる存在。
分かり易く家族、おそらくは父と確執があることということが妹や姪の言葉からも醸し出されていますが、とりわけ際立つのは住む世界の違いです。
なにせ風呂がない家に住む平山の家に、運転手付きの高級車(高級かどうかは推測でしかありませんが)で家出した姪を迎えにきます。姪の口からも、母は平山氏と住む世界が違うと言葉にしていたと、彼は聞きます。
そして妹はお土産に平山氏が「好きだった」とされる(おそらく)高級そうな手土産を渡します。
ここからも分かる通り、妹は非常に裕福な家庭に現在身を置いていることが分かりますし、平山氏もおそらく元々は非常に裕福な家庭で生まれ育ったのでしょう。もしかすると、いわゆる学歴も高いのかもしれません。もちろん妹がどこか裕福な家に嫁いだ、ということも考えられます。しかしむしろ、妹が嫁いだのではなく婿を取ったのではないでしょうか?
そしてもし、婿を取らざるを得ないような状況だったのだとしたら?
それが平山氏と家族観の確執の重要なポイントになるのだとしたら、一体何があったのだろう?
長くなり過ぎたので続きはまた近々。
それでは、また。
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