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2025.1.19 東東京ロンリネス

東京の夜はどこか賑やかで、いつまでも煌々としていて夜がやってこないくらいに明るいものだと。当たり前のことだけれど、そんなことはなくて。どこにでも、夜の闇はじわじわとやってくる。
今までは人より野生動物と出くわすことの方が多かった田舎中の田舎出身の私にとって、夜は外で鳴く虫や狐の声が大変煩わしい時間だった。ホラー番組を見た後も、受験勉強をする時も何かしら外から声がする。
狐の声、聴いたことあるかな?すごいんだよ。きゃーーーん!って鳴くの。すごくうるさいんだよ!
そう言ったら、そんなことあるのってあの時の彼は疑ってたけれど東北の某県にある狐村の映像をみて信じたようだった。私からしたら、あそこの狐たちはどうにも行儀がいいし声も優しいところがあるという気がしてならない。私の田舎は狐たちにとって修羅場なのかと思えるくらいに、彼らの声は空気をつんざいてくるのだ。もうそれは、矢で鼓膜を打ち抜かれるが如き鋭利さなのだ。皆さんは野生の狐たちの声を聴いたことがあるだろうか。聞いたことがある人はうんうんとうなずいてくれていることだろう。
そんな田舎の狐が出す断末魔の叫びのような声は置いておいて、東京の夜は普通に暗いし、住宅街ならなおのことそこまでうるさくもない。むしろ昼との差分、人間がたくさん湧き出る時間帯とのギャップで妙に寂しくなる。
これはよくない、寂しさで押しつぶされてしまう。
そう思うと私は、夜に自転車で駅前に向かう。遅くまでやっているドラッグストアの明かりが、言いようもない不安に塗られていた私に安心を分けてくれる。そのドラッグストアは私にとっての生命線だったので、付き合い始めの恋人より信頼していた。

ドラッグストアを過ぎておよそ10分で、最寄りの駅前に到着する。
駅前は夜にも関わらずやっぱり明るくて、遅くまでやっている居酒屋やカラオケがたくさんあって、疲れたサラリーマンや近くにある大学の学生たちがごきぶりホイホイみたいに吸い込まれていく。私はひとり、駅の改札前、誰の邪魔にもならないところで、人の往来を眺めた。スーツを着た会社員、塾帰りと思われる高校生やぼろぼろの服を着た老人。それらが行き交う足音が、飛び交う蜻蛉のように右に左に歩く様が、都会でひとり感じる寂しさを霧散させてくれた。目を閉じて、足音だけに耳をすませる。雑踏の中で、どうしようもなく一人である自分と、この多くの雑踏を鳴らす人達すらも本当の意味では独りでしかないのであるという事実が孤独を肯定してくれた。独りで部屋にいると、なにをしていても、寝ようとしていても、どこかに不安を感じる時間がある。
天井から下がるライトが、突然自分の頭に落ちてきそうな様子を眺めているような不安。

何かが落ちてくるのか、それとも、自分が落ちるのか、分からなくなる。

どちらも同じなのかもしれない。

相対的な座標が違うだけ。

壁によりかかって、空を見上げる。

カラオケ屋の赤い看板に、星が少しだけ照らされているようだった。

黄色地に赤い文字の居酒屋の看板から、駅前の喧騒に負けないくらいのがやがやが漏れてくる。

どうやらあの時聞いた虫たちの声が、都会でも聞こえてくるようだ。

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葉桐
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