赤い手、緑の手
世の中には赤い手を持つ人と緑の手を持つ人がいるという。植物をすぐ枯らせてしまう赤い手の持ち主と、どんなに弱った植物も元気にしてしまう緑の手を持ち主。
自慢じゃないが私は植物を枯らすのが天才的に上手い。サボテンまで枯らした。私の手は真っ赤っかに燃えているらしい。
そのくせ植物は大好きだからタチが悪い。枯らしては買い、枯らしては買い…悪いホストにハマったお客さんみたいな感じである。
ある日、紅葉を枯らしたことに嘆き悲しみ、母に心の内を話すと母に告げられた。"あら〜、〇〇(我が弟)もこの間桜枯らしてたわよ〜。"
....…もう遺伝なんだろうか?これはDNAに予め組み込まれた逃れられない運命なんだろうか…更に私は嘆くことになった。
数ヶ月前、緑の手を生業にしている方にお会いする機会があった。樹木医、読んで名の如く植物のお医者様だ。
もう私は嫉妬にも似た羨望であれやこれや話を聞きまくった。仕事の話を喜ばない人もいるが、彼は違った。植物に対する愛に溢れているのがわかった。神社仏閣の御神木から個人のお庭まで、検診、治療は多岐に渡るらしい。あまりにも興味深くていろいろ聞くものだから、業界にお誘いまでしていただいたが、まさか私が地獄の門の如く燃え盛る赤い手の持ち主で、よもや先天性であったなら彼の治療している古い御神木など平気で枯らしかねない。検診で訪れたつもりが死に至る病を伝染してしまうかもしれない。そして神様の怒りを買い、末代まで恨まれかねないと思うと丁重にお断りさせていただくよりなかった。
しかし、彼に話を伺ってからというもの益々私は緑の手が欲しくなった。部屋を、ベランダを、緑でいっぱいにしたい…いや、もう私が歩いた足跡から次々と芽が生えてくるくらいになりたい。オスカルの如く、薔薇を背負って歩きたい…(怖すぎる)憧れは募る。
先日、お花屋さんの前を通ると一つだけ半額になっている小さな苗が寂しそうに一輪の花をつけていた。
他の苗たちは仲間たちと一緒に誰かの手に取られるのを待っている。花を育てたことはないが花の盛りが過ぎて売れ残っているのだろうか?私は持ち帰ることにした。
そうだ。もしこの子が元気に花をたくさん咲かせることが出来たら私も緑の手を手に入れる小さな一歩になるかもしれない…そう思ったのだ。遺伝的なものであっても火消しくらいにはなるかもしれない、せめてこの赤い手を手放したい。私の壮大な緑の手プロジェクトはまだ始まったばかりである。