桜紀行 2024
近所の古い団地が壊されて長らくそこはだだっ広い原っぱと化している。また団地が建つのかと想いきや施工の気配は一向にない。
先日、桜ももうすぐ八分咲きといったころ、その原っぱに5本ほど桜の木が残されていることに気づいた。いつも通る道なのに木が残されていることには気づいていなかった。団地がまだあった頃、他にも木は植えられていたはずだ。他の木は全て切り取られて桜だけがそこに春の訪れを告げた。
なぜ桜の木だけが残されたんだろう。理由は定かではないが、なんとなく日本人の桜に対する、執着にも近い想いを感じた。そして桜が花を咲かせるまで残された木に気づきもしなかった私がその存在を花によって気づいたのもまた、日本人の血が流れているからかと思われる。
桜が咲く前の樹皮から糸を染めるとまだ秘めている桜の色に染め上がるといったような文を読んだのは志村ふくみさんの著書だ。枯れ木とさしてかわりない桜は冬の間、美しきその色を幹の中に蓄えているのだという。
儚く健気な花の在りようを愛でられている桜の底の力強さを教えられた気がした。ちなみに私は葉桜になりかけの桜が一番好きである。人の目には見えない蓄えられた強さを遺憾無く発揮している様に見えるからかもしれない。