映画「ボヘミアン・ラプソディ」を観たらインドア人間が一転、外に出るようになった話
全ては職場の友人の誘いから始まった。
「明日ヒマだったら映画とかどう?ボヘミアン・ラプソディが評判いいので観にいこうかと」
そんなラインをもらったのは2019年、年末年始の休みも残り1日、連休初日に戻りたいとボヤいている時だった。
「ヒマです、行きましょう!」
即答した。
いくらボヤいたところで休みは終わるし、会社には行かなくてはならない。面白い映画を観て、仕事始めの景気づけになるといいな。
…くらいに考えていたのだが。
景気づけなんてもんじゃなかった。
洋楽が特別好きな訳でも、曲は聞いたことがある、くらいでQUEENの熱烈なファンという訳でもなかった。
それがどうだろう、映画が終わる頃には頭の中はQUEEN一色。曲をもっと聴きたい。歌詞の意味を知りたい。彼らのエピソードを知りたい。
鑑賞後、映画館近くの喫茶店で友人と面白かった、これは映画館で観るべきと感想を話しながら、私は静かに決意していた。
…次の休み、もう一回観にこよう…
正月休み初日に戻りたいという願いは消え去っていた。
むしろ早く会社始まってくれ。そうすれば次の休みが来て、またボヘミアン・ラプソディを観れる。
我ながら単純な回路である。
しかし今度は、次の休みまでが長い長い。
ふとした瞬間に映画のシーンが脳内再生される。曲が頭の中で流れる。一刻も早くボラプを観たい。QUEENの音楽を浴びたい。
休みまでの数日は、中毒患者か依存症か、という勢いで休憩時間や帰宅後にひたすらQUEEN、ボラプ関連の動画やサイトを検索することで何とかしのいだ。
「QUEEN バンド」
「QUEEN 動画」
「ボラプ 感想」
「ボラプ トリビア」
「QUEEN トリビア」
「QUEEN 名曲」
「ドント・ストップ・ミー・ナウ」
「QUEEN キラークイーン」
「インペリアルカレッジ」
「フレディ ロジャー 古着屋」
「ケンジントンマーケット」
「イギリス ケンジントンマーケット」
などなど。
そうして迎えた休日、私は映画館にいた。観るのはもちろんボヘミアン・ラプソディ。同じ作品を2回鑑賞するのは初めてだった。
どのシーンを観ていた時だったかはよく覚えていない。
イギリスに行きたいな、と思った。
エンドロールのドント・ストップ・ミー・ナウで駆け抜けるように歌うフレディの姿を見て、楽しそうに演奏するブライアン、ロジャー、ジョンの姿を見てその思いは一層強くなった。
QUEENが生まれた国に行きたい。彼らが生まれた国がどんな所なのか、実際に見て確かめたい。一度そう思ったら止まらなかった。
こうして私は人生初の海外旅行に行くことになった。
不安はゼロではなかった。
海外どころか国内すら旅行した経験がない(他県に行ったのは学生時代の修学旅行くらい)人間がいきなりヨーロッパ。初めての飛行機、しかも長時間、長距離移動。言葉もほぼ分からない。ツアー参加とは言え大丈夫なのか。
いざ行ってみると、不安?何それ!状態。ものすごく楽しかった。
初めての海外旅行先をイギリスにして、あのツアーを選んで本当に良かった。これを書いている今も心から思う。
まず、羽田空港に着いて多様な人たちを見た時点でワクワクしたし、飛行機の座席に着いた時は年甲斐もなくはしゃぎたくなった。
ヒースロー空港に降り立った瞬間の気分は最高潮だった。ああ、イギリス!
旅行期間中は何もかもが輝いていた。景色も人も食べ物も体験も。
例えば、街を探索中に入ったレストランの女性店員。ブロンドのツインテールに網タイツ、濃いめのメイクがよく似合っていて、映画のヒロインがスクリーンから飛び出してきたみたいだった。頼んだら写真を撮らせてくれただろうか。
例えば、米とキャラメルとバナナのプディング。日本にいたらメニュー表に載っていても恐らく選ばない組み合わせだが、何事も経験だと迷わず注文した。そしてこれが意外と違和感なく食べられるのだ。
例えば、迷子になった時の不安感。添乗員が気付いてくれて事なきを得たが、皆とはぐれたと気づいた時の絶望感と言ったら。いい大人があれだけ不安になるのだから、小さい子供などそりゃたまらないだろうと思う。これは人に迷惑をかけているのだから、いい思い出にカウントしてはダメなのだが…。
アイスクリーム1つ注文するのも大苦戦、QUEEN、ボラプゆかりの地を訪ねるのは断念したが(自分の英語力や旅の不慣れさを考えたら当然の判断である)、英語を勉強しようと決意するきっかけになった。
看板の「Kensington」の表記を見るだけでテンションが上がって夢中で写真に収めたし、人生で初めて教会の中に入って内観の美しさに感動した。夜のパブで飲んだ十数年ぶりのコーラはとても美味しくて、その翌日はスーパーでコーラを購入した。お釣りでもらったピーターラビット柄の硬貨は今も大切に保管している。
次はどこに行こうか。
帰りの機内で、自然と次の旅行先を考えている自分に驚いた。
出不精のインドア派なのに?
出不精インドア派を自称しているが、私はいつから外出に興味がなくなったんだろうか。
私が幼稚園に入る前、我が家にはお菓子の空き缶が置いてあった。
蓋には青い空、風車、チューリップ畑の写真が印刷されていて、私はそれを見るのが大好きだった。
ある時家族に、これはどこの景色なのか聞いたことがある。
すると
「風車とチューリップだから、オランダかな」
と返ってきた。
オランダ。行ってみたい。
「オランダにはどうやったら行けるの?」
「オランダなんて遠い所には行けないよ」
そういうものなのか、と素直に思った。
アメリカ、フランス、イタリア、スペイン、香港、中国、エジプト、オーストラリア。
テレビや本で国名、都市名を見たり聞いたりする度に行ってみたい場所が増えた。
その度に家族に訊ねて
「遠いから行けない」
「うちにはそんな所に行った人はいない、だからあなたも行けない」
と跳ね返された。
そしていつの間にか、ここに行きたいという気持ちはなくなっていた。
私の趣味は家の中で楽しめることが多い。
本が好きだ。ドラマや映画が好きだ。ネットで人の体験談を読むのが好きだ。
けれど同時に、外に出たい人間でもあったのだ。
思いを巡らせた場所に実際に行って、自分で見聞きして、体験して、どんな所なのか確かめたい。
そんなことを思い出した。