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CREATIVITY
ここのところ、自分の中から何かが湧き出てくるのをじっと待っている。
私の中には明け方の薄暗い沼のような泉のようなところがあって、そこから出てくるものはだいたい間違いないのだ。
泉の手前にある森や道で拾ったものでは、どれもなかなか形にならない。
それがわかっているから私は待つしかないのだ。泉から何かが出てくるのを。
内観はよくするけれど、自分の中の泉を感じるのはまた少し違っていて、本当に
ボケーッ としなければアクセスできないのである。
猫と庭に出てキャンプ椅子を出して座る。あとは何もしない。
もしくはただ黙々と野菜スープを食べる。スープ以外視界に入れない。
ただただボケーッとして、食べ物を食べて、お茶を飲む。
そうすると見えてくるのは、日頃いかに自分がメディア中毒になっているかということ。
常にYouTubeやNetflixを観ていたり、お馴染みのサイトなども観て回る。
自分が中毒になっている時、実は自覚はあるのだ。
サードアイや前頭葉あたりから伸びてる自分の生命エネルギーが、画面に吸着してロックしてしまっているのを体感するから。
本当はどこに伸びたいエネルギーなのだろう?
もしかしたら、あれはエネルギーではなく触覚なのかもしれない。
大切な触覚が画面に吸着されて動けない人が多い今の世の中を「怖い」とか「残念だ」とか、こき下ろす気はない。
なぜなら、ボケーッとして自分の触覚を自由にさせてみたら、それはそれで非常におしゃべりなのである。
内なる魂の声とか、ハイヤーセルフの言葉とか、インスピレーションとか、湧き出るアイデアとか、これらは全部同じもののことを言っているのだと思う。
それはどこのチャクラから出てくるかによっても特色が違うのかもしれない。
宇宙からの司令のようにクラウンチャクラでキャッチする人、直感的にサードアイでやるべきことを「知る」人、ハートの泉から湧き出たものをスロートチャクラで解放する人、セイクラルチャクラから燃え上がる創造性を爆発させる人...
私の中にある“明け方の泉“から出てくるものは、JOYの色をしている。
やりたいことではなく、むしろやらずにはいられないことなのだ。
そういうものじゃないとエネルギーやお金がうまく循環しないことをもうわかっているから、だから泉のほとりでただ待つしかないのである。
何が出てくるのか、誰がやって来るのかも、すべてはお楽しみなのだ。
そんな私の元に、昨日ようやくお知らせが来た。
“次のミッションはこちらです“
今回は内側からのお知らせではなく、他者からの物理的なお知らせだった。
やらずにはいられないことって、同時に「それならできる」と思える簡単なことでもあると思う。
見落としがちなのは、自分が簡単にできることが、他人も簡単にできるわけではないということ。
みんな、自分の泉から出てくるものは簡単にできるのだ。
人はそれを才能と呼ぶ。