〈勝手に見どころ解説〉俊寛@大阪松竹座七月大歌舞伎
「平家女護島」俊寛
能「俊寛」をもとに、近松門左衛門が人形浄瑠璃のために作った「平家女護島」。人形浄瑠璃として1719年8月大阪竹本座で初演された本作は、翌年正月に歌舞伎として全段が上演されたことから、この作品の人気ぶりがうかがえます。
現在は、全五段のうち二段目にあたる「鬼界ケ島の段」がよく上演され、この段の中心人物の名前をとって、「俊寛(しゅんかん)」と呼ばれています。
ときは、平安末期。世の中は「平家にあらずんば人にあらず」といわれるほど、平家全盛の世の中。これをこころよく思わない後白河院たちは、俊寛僧都の鹿ケ谷(ししがだに)の山荘で平家打倒の密談をしていました。ところが、何者かによって密告され、計画は失敗。陰謀を企てた罪として、俊寛僧都、丹波成経(たんばのなりつね)、平康頼(たいらのやすより)の三人は、孤島・鬼界島(きかいがしま)に流されてしまいます。平清盛は、俊寛らを流罪にした後、俊寛の妻・東屋を思いのままにしようとしますが、東屋がその意に反したため、殺害してしまいます。
妻が殺されたことも知る由もない俊寛は都へ戻る希望だけを糧に、日々を過ごし、はや三年の月日がたちました。
都では、平清盛の娘で高倉天皇の后となった中宮徳子が解任しました。それによって安産祈願のため、大赦が行われることとなり、鬼界が島の流人もご赦免ということになり、使者がこの島へとやってきます。
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