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思い込みの解除によって起こった変化
結婚したら〇〇できなくなるから、独身のうちにやっておこう〜 / やりたいことがあるけどお金がないから今は出来ないや、とりあえず楽しいことをやろう〜 / 母親になったから仕事より趣味より子供優先だ。そもそも時間はないし〜
これらは過去の私の思考だ。反対に、去年から今年にかけての私に起こっていることは以下だ。
・一人旅に行きたいな、でも子供を産んだからしばらくは無理かな
→産んだからこそ行こう。0歳息子を夫に預けてヨーロッパ一人旅へ行った
・子育てに家事に仕事、趣味をやる余裕なんてないな〜
→曲を作ってレコーディングしストリーミングサービスで配信した
・もう2度と会わない、と縁を切ったはずの家族
→自分から会いに行った、再構築に向かう家族関係
・やりたいことはあるけど大きな目標すぎるが故に「叶えばいいな〜」と思っていた
→今から叶えよう!と動き始めた
このように、過去の自分の思考とはわかりやすく真反対のことが「現実」となっている。
大切な友の突然すぎる旅立ち
思考とは真逆のことが現実となった背景には、「思い込みの解除」がある。私の人生は、この目に映る景色、関わる人、過去の自分が判断材料になってきた。何故なら失敗したくないがために、ある程度の「成功例」を元に選択をするほうが低リスクだと無意識的に思っていたからだと思う。
ところがあることをきっかけに、こう思い始めた。
「社会」が人が共生するためのシステムだとしても、私個人の人生は自由だ。何をやってもいいじゃないか。誰も私のことをジャッジできない。私の人生は「社会」ではないのだから。
きっかけは親友の死だった。若干29歳で帰らぬ人となった大切な友、優秀な彼はこれからもきっと活躍して、私たちは60代70代で昔話をつまみに酒を飲むんだろうな、いや熱いお茶とせんべいかな?そういう図を勝手に想像していた矢先の出来事。
4ヶ月ほど現実とは思えず過ごしたのちに行った墓参り。そこでは彼が眠っていた。語りかけても返事はなく、風が吹くだけだった。流れる涙は風にさらわれ、流せど流せどすぐに乾いた。現世の終わりはこんなにも唐突にやってくるのかと、私の終わりもいつだかわからんものだなと、彼の死を受け入れると同時に、そこから「命の使い方」について本気で向き合い始めた。
解除されていった思い込み
「命の使い方」として人生を思い描き始めたら、私の心の檻で鍵をかけられていた願いや本当の気持ちが解き放たれていく感覚がした。
一人旅を予約し、曲を作りレコーディングし、リリース待ちの期間、なんだかまだ燻っているもやもやした気持ちがあると気づいた。どうやったらこのモヤモヤを救い切れるのだろう?そう思いながらたどり着いたのが保倉 冴子さんの「Notable_」というコミュニティだった。
昨今よく聞くようになった「ジャーナリング」を質高く取り組んでみたいと直感的に思い、Notable_でSaekoさんが発信する内容をヒントにしながら始めた「書き出す」という行為。それはとうとう私のモヤモヤを丸裸にした。
思い込みの外の世界
個人的な話で恐縮だが、特に大きな思い込みだったのが、「父と祖父母は私を傷つけるだけの存在である」ということ。複雑な家庭環境だった幼少期。良い思い出が溺れて沈んで見えなくなってしまうくらいに悪い思い出が多かった父と祖父母との時間。周りから散々後悔するぞと脅されたが、実は自分の結婚式にも彼らを呼ばなかった程に嫌いだった。
音信不通でほぼ4年、息子 = 父にとっては孫、祖父母にとってはひ孫 が産まれたことも、言わないつもりだった。何故なら私の息子に害を与えられては困るとさえ思っていたからだ。
ところがノートに現れた私のモヤモヤは「家族に会いたい」だった。あんな最悪な父親なのに、あんなに辛い思い出のある祖父母たちなのに、わたしは海で拾った綺麗な貝殻のように、父や祖父母との数少ない良い思い出を、大事に握ったまま大人になっていたのだ。「みんなまだ生きている」ということだけはなんとなくわかっていたので、「まだ間に合うかも」と思い、最悪な結果になることも想像しながら夫にも何かあったらよろしくね、なんて無責任に頼りながら、息子を抱いて夫と彼らに会いにいった。
結果、祖母は乳がんになっていて、私の知っている祖母よりひとまわり小さくなっており、自力で歩くのも難しくなっていた。痛いはずの膝に鞭を打ちながら持っているものは全て私たちに与えたいと言わんばかりに冷蔵庫にある全ての食材を出して「これ持って帰り」と段ボールに詰めながら、「ああ良いことがあった、生きててよかった」と言った。祖父は通常運転のそぶりでいながらも話が止まらず、ずっと喋っていて、ひ孫である息子を慎重に優しく抱いて離さなかった。父は急いで来た様子で現金の札束(薄め。笑)を握りしめて到着し、祝い金として私につきつけながら「会いに来てくれてありがとう」と言った。(これは本当に信じられないことで、父親はこんな言葉を口にできる人ではなかった。) 一緒にご飯を食べたわけでもない、時間にすると1時間程度の出来事だったが、確実に想像もしなかった「良い時間」がそこにあった。
私の家族は各々が複雑な性格をしているので、もしかしたらまた関係が悪くなって「空白の期間」が訪れるかもしれないが、それでも今回思い切って「思い込みの外の世界」へ飛び込んでよかった。あと数年遅かったら、祖母にはもう会えずじまいだったかもしれない。
命の使い方は、もっと自由で良い、昔が〇〇だったから、なんてことも関係ないんだ。そう確信できた出来事だった。
他の記事で掲げた「子連れ大学院留学」という夢を目標と認識し始めたのもこの「思い込みの解除」のおかげだ。
只今掲げている目標はこちら↓
おわりに
もしかするとこの記事を読んでくださっているあなたにも、思い込んでいることでかかっている制限はないだろうか?あなただけの命の時間、本当に味わいたいものを味わえることを、願っています🌹
Sayaka.