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ユーゴスラビアの映画

7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、1つの国家と形容されていたユーゴスラビア。第一次世界大戦後の民族自決原則に則り、元はバラバラだった「南スラブ人」という民族(注)の統一国家として成立し、2003年まで存続していました。
今回は、そんなユーゴスラビアという、ユニークな国・社会・文化の発展と崩壊を、映画でたどってみたいと思います。

注:「ユーゴスラビア人」(南スラヴ人)は民族的に同質で、これまでは外国による支配の下で単に宗教によって分けられていたに過ぎないものであるとする概念

アンダーグラウンド

1995年制作、カンヌ映画祭でパルムドール(最高)賞を受賞作でありながら、エスニック感あふれるおもちゃ箱のような楽しさのある作品です。

1941年のナチスによる占領から、1980年のチトー大統領の死、1989年から起こる国家の分裂まで、ジプシー音楽の爆音に乗せ、マルコとクロという二人の悪友の人生を通してユーゴの社会を描いています。

ナチスの進攻に反抗し共産党に入るも、マルコは武器の密売に手を出す悪徳商人、クロはナチスの将校に女優を取られ復讐に燃える無頼漢。二人は仲間たちとナチスの金品を強奪したりしながら、人間臭いパルチザン(共産ゲリラ)生活を貫きます。

戦後の冷戦時代については、(戦争が終わった事実を知らずに)地下で武器の製造を続けるクロたち【自主的経営】、作られた武器を横流し、1人地上で儲けと・社会的地位を独占するマルコ【共産主義政権】、やがて地下の最深部に、ヨーロッパ各国にまで続く謎の地下道を見つけるイヴァン【西側社会との交流】と、一見バラバラで不思議な世界観ですが、当時のユーゴスラビアの多面的な構造を表しているようにも見えます。

面白いのは、マルコに象徴される共産党が一面抑圧的に見えるのに対し、故チトー大統領は一貫して好意的に撮られていること。ソ連型共産主義と一線を画す「チトー主義」は、セルビア人の父とモスリムの母を持つ本作の監督を始め、互いにまざりあって生活していたユーゴの人たちにとって「祖国」のよりどころだったのかもしれません。

登場人物とともにユーゴスラビアが旅立っていくラストは、今は亡き「ユーゴスラビア」の墓標のようで、クロアチア、スロベニア、ボスニアヘルツェゴビナ等の独立した国々から観ると、時代錯誤にも映るようです。

ただ、今も共産主義時代の価値観を残す多くの国々に住む人々の、西側国家からは見えない部分の本音を観させてくれる点で、本作は今の私達にとっても貴重な作品だと思います。

カルラのリスト

ユーゴスラビアの街中を、時速100キロ以上で疾走する防弾のSUV。交差点や急カーブでも絶対に止まらない理由は、狙撃を避けるため。500万ドルの懸賞金が賭けられた旧ユーゴ紛争の戦争犯罪人たちを追う、国連検察官カルラ・デル・ポンテのドキュメンタリーです。
オランダ、ハーグに専門チームを抱え、スイス政府派遣のタスクフォースに24時間警護され、専用ジェット機で世界を飛び、犯人逮捕のため国家首脳と交渉を行う日々。検事として自宅を爆破された過去もあります。

戦争犯罪人として指名手配されているのは、クロアチアのゴトビナ、ボスニアのセルビア人勢力のムラジッチ及びカラジッチの計三人。冒頭のカルラのインタビューでは、両勢力の責任者を裁くことで、民族同士の恨みを決着させる意図が説明されます。
ただし映画の進行は、国際世論を反映し、悪名高いスレブレニツァの虐殺を哀しむ家族の映像を挟みながら、虐殺の責任者とされるセルビア人の2人の戦犯、彼等を匿う(?)セルビア政府VS彼らを追うカルラ検事を軸としてストーリーが展開します。(このあたり、セルビア側に国際的批判が集中するまでの経過を、ボスニアヘルツェゴビナのプロパガンダ戦略としてまとめた「戦争広告代理店」(NHK出版)を合わせて読むと、多面的な理解に役立つかと思いました。)

後日談ですが、カルラ自身が国連検察官退任後に、当時の裏事情を記した自伝を出版しようとした所、その直前に高度な守秘義務を負う在アルゼンチンのスイス大使に任官し、出版が中止になったとの事実も(「ニューズウィーク日本版」記事より)。

仕事に淡々と命をかけるハンサムウーマンを描いた、生き方モノとしてシンプルにお勧めの本作。さらに一筋縄では分からない、戦争の不都合な真実を考える、足がかりにもなる作品かと思います。



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