自分を守り信じることをやってみる
何年もほったらかしにしていた自分の健康のために久しぶりに内視鏡検査をやった。
しかも鎮静剤を使って胃と大腸の内視鏡検査をやった。
恐ろしかった。近くのクリニックに予約したのだけど、中堅の医師が開業したらしい所で経歴を見て決めたのだけど、自信があるらしい態度に予約してみた。
けれどとにかく検査ありきの予約で時間に追われてまるでベルトコンベアーに乗せられて効率ばかりの検査であっという間に意識消失して気がついたら終わった検査。
しばらく休んだあと検査の結果を説明するのだけど、ポリープがあったので取りました と。
はぁ。
全く意識なくしているのでどんな風になったのかはわからない。
気持ち悪さしかなかった。
鎮静剤を使うその範囲はまるで違う。
きちんと説明してほどほどの鎮静剤使用にするのか、全くの意識消失になるのかはまるで説明はなかった。
私にはハードルの高いことだった。
鎮静剤なんて使わずに検査していた以前の感じからはあまりにも程遠い。
知らない間に全てが終わってる。
その恐ろしさは半端なかった。
意識のない人間に検査するのはもう信用しかない。
この人たちは間違いないと信用していないと無理だろう。
簡単に一度会ったくらいで信用して全てを委ねるしかないのだ。
あまりにも恐ろしすぎる。
しばらくは内臓が動きを止めてまるで食欲なし。
本当に大丈夫なのかまるで信用がない。
ただただ気持ち悪い。
意識ない状態で終わった処置には慄く。
でも時間が経って少しずつマシなことになる。
そう。仕方ない。
終わったことは戻らない。
最悪のことにならなければそれで良い。
もう終わったのだから今の自分の身体をゆっくり観察して大丈夫なのかを確かめるしか術はない。
検査後は一日食べられず飲み物だけで過ごす。
二日目にやっとなんとか食べ物を食べる。
三日目にはずいぶんマシになる。
四日目にはジムでヨガレッスンをやれる。
日を追うごとに身体がゆっくり戻っていく様を確かめて、自分を落ち着かせていく。
恐ろしかった事はだんだん薄れていく。
今の身体を確かめて、大丈夫を増やしていく。
私はずいぶん大丈夫を増やした。
自分のことをゆっくり眺めてそのまま置いてみられるようになった。
恐ろしさや不安はもちろんある。
それでも時間が経つと薄れていく。
そのことに癒されていく。
これは本当に素晴らしいことだと自分を見て思う。
私はこれまで決して自分の身体の感覚を信じられた事はなかった。
いつもいつもそんなはずない。
これは違う。
ほらほら、まだ頑張れるのにやらないんだろう!
そうやって自分を鼓舞して無理させることしか術はなかった。
それは私の中にある生育者の呆れるほどの叱責が元。
いつもいつも責めることしか無い。
それは本当に哀れな惨めな幼い子どもを叱咤して鼓舞するだけ。
ヘトヘトで生きてることさえ無理だと思えた。
そこからやっと気楽に穏やかに過ごせるようになった。
何かあればまた 大変だとセンサーが発動して恐ろしさで固まるだろう。
でもそこからだんだんとまた慣れていく。
少しずつベイビーステップで少しずつマシになっていく。
そして戻る。
こんな風に今を味わう。
先もわからず過去はもう終わった。
だから今しかない。
何度も味わいながら、右往左往しながら、一日過ごしていく。
すっかり元通りな気分の身体と一緒にまた一日やっていく。