ただの身の上話

世の中には複雑な家庭というものがある。

両親が離婚し、片親が子供を育てる家庭。
毒親の家庭。子どもを虐待する家庭。
もっと他にもいろんな家庭があると思う。

私の家は両親が離婚し、母親が私を育てる“シングルマザーの家庭“だった。
両親は私が幼稚園に上がるときにはすでに離婚しており、父親の顔はすっかり忘れてしまっていた。

まあでも父親がいなくなっても今までとくになんの不便もなく生きてこれた。
母が頑張って働いてくれたおかげで、お金はあまりなかったけど食べ物に困ることはなかったし、給食費滞納や修学旅行の積立費が足りないなんてことも全くなかった。
離婚した後も母は自分の苗字を(何故か)変えなかったので、私の苗字が変わることも、それによって私が複雑な思いをすることもなかった。
“複雑な家庭”とは名ばかりに、ただの“父親がいないだけの家”みたいな環境だった。私は満足していた。

母による扶養期間が終わり、私が就職してしばらくたったときのこと。
母の薬指には指輪があった。
あまりにも突然だったのでびっくりして、そのことについて聞くことが出来なかった。母も指輪について私に何も言ってはこなかった。

ちなみに母は離婚した後、彼氏を作っては別れ、作っては別れを繰り返していた。
『再婚する気はない』と都度言っていたので、本人が言うならそうなのだろう、と楽観的な気持ちで過ごしていた。
が、普通にバリバリの結婚指輪をはめていたのでマジで意味がわからなかった。

どうして今なんだろうか
再婚する気はないのではなかったのか
どうして私に何も言ってくれなかったのか
どうして今でも前夫(父)の苗字を名乗っているのか

そんなことを考えていたら一気に悲しくなってしまった。
私は父の電話番号も知らないし、今住んでいる場所も仕事も、年齢すら知らない。違う女性と再婚したらしく子どももいるらしいけど、その人たちの顔も当然知らない。

虐待はなかったし貧困でもなかった。それに関しては本当に母に感謝している。

ただ時々ふと、このもの悲しさを思い出してしまう。
父の存在のなかった幼少期と、指輪について何も言わない母へのふんわりとした不信感を抱いて生きていかなくてはいけないことが、少し悲しい。

この程度で、と思われるかもしれないが私はもっと普通の家に生まれたかった。
普通に父と会話をし、出掛けたり、隣で母と父の仲睦まじい様子を見ていたかった。

そうなれなかったことが、ただただ本当に悲しい。

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