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燕三条背脂ラーメンの元祖「杭州飯店」に行ってみた!!

調査の目的

今回、大学の講義の一環で「新潟を取材する」というテーマを元に、どのようにして、燕三条背脂ラーメンが広まり、愛されるようになったのかを知るため、燕三条背脂ラーメンの元祖である杭州飯店を調べてみました。

杭州飯店の歩んできた歴史


杭州飯店の歴史

燕市にある杭州飯店は、燕三条背油ラーメンの元祖で、前身の福来亭から数え、1933年から受け継がれてきた歴史の長いラーメン屋さんです。
太さはなんと幅5ミリと、食べ応えのある麺となっており、実際に食べに行って麺の太さには大変驚きました。そんな杭州飯店のトレードマークである極太の麺は、時代とともに太さを増していったのです。
杭州飯店のラーメンの始まりは屋台のラーメンで、屋台のラーメンだったために火力が弱いこともあり、当初はゆでやすい細麺に、薄味のスープという組み合わせでした。
「洋食器産業が栄え始めたころで、店は工業従業員でにぎわっており、汗をかき仕事に励む彼らの要望で味はどんどん濃くなり、麺も腹持ちのいい太麺に変わっていきました。」
出典:新潟日報社 太く長く濃く、杭州飯店の80年、より。
この記事にもあるように、杭州飯店のラーメンは、工業従業員などの影響によって、麺の太さや濃さなどがどんどん変わっていったのです。
1代目店主の昌星さんの息子、勝二さんが入店した1960年代から、味はさらに変化することになります。勝二さんは出前を担当していたこともあって、麺の伸びてしまうことへの対策として、伸びにくいように麺の加水率を増やし、さらに太くしました。さらに研究を重ね、麺は以前の倍の太さになったにもかかわらず、ゆで上がりの早い理想の麺が出来上がりました。また、ラーメンの表面に背油を散らすスタイルも始めました。
「1977年、昌星さんが福来亭新館として開店した杭州飯店を任せられるようになりました。」
出典:新潟日報社 新聞 2013年12月19日 「太く長く濃く、杭州飯店の80年、」より。
この記事にあるように、杭州飯店の歴史はここから始まったようです。さらなるラーメンの変化として、長ネギが高騰すると値段が安定しているタマネギに変え、客から絶賛されたことで定着しました。20年ほど前からはスープと麺のテイクアウトも開始されました。
このように、杭州飯店の燕三条背油ラーメンは長い歴史の中で進化し続けていていて、今では、店の伝統は3代目の直幸さんに受け継がれ、親しまれています。

実際に行った感想

7月1日に、実際に行って食べてみました。
お店の雰囲気はラーメン屋というより街の食堂のような感じで
家族連れや社会人、ご年配の方も訪れており地元に愛されているなと感じました。
店内の写真を撮るときも快諾してくださるなど店員の方もみなさんとてもやさしく最高の気分で食事できました。
また、レジの方法が特殊でなんと暗算でお会計をしていました。お会計のラフな感じからも街の人から愛されている感じや親しみやすさを感じました。
ラーメンは醤油スープの上には一面に背脂が浮いていて
麺は縮れた太麺でトッピングにチャーシュー、
メンマ、刻んだ玉ネギが乗っています。
スープは醤油のうまみと背脂のコクが合っていました。
また、麺はスープがとてもしみ込んでいておいしかったです。
チャーシューは一般的なものより脂身の部分が少なくさっぱりしたもので
背脂のスープの邪魔をしないようになっていました。
個人的には麺が他では食べたことのない味や食感で驚きでした。

これが実際に撮った燕三条背油ラーメンの写真です。店内撮影の許可を取る際、最初は驚いていた様子でしたが、「どんどん撮って~」と明るく返答をいただき、お店の気さくな雰囲気を感じました。


まとめ


今回は実際に、杭州飯店の背脂ラーメンを食べて来ましたが、長い歴史の中で徐々に太くなった麺はもっちりとした食感で、背脂によく絡み、本当に美味しかったです。進化の歴史を持つ、燕三条背脂ラーメンの元祖である杭州飯店。もし機会があれば、皆さんも杭州飯店に足を運んでみてはいかかでしょうか。

引用・参考

新潟日報社 新聞 2013年12月19日 「太く長く濃く、杭州飯店の80年、」 

広報つばめ平成25年11月1日号
出典 燕市


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