罪の重さは一貫していているのか、その代償はフェアか
昨今、芸能人が何かしら問題を起こし、謹慎したり自粛したりというニュースが多いように思います。
そもそも、私個人の意見としては、以前の記事でも書いたように、プライベートな事柄を報道し、そこに非難が集中することに懐疑的です。
不必要な謹慎、不必要な自粛、誰に説明して誤っているのかわからない会見、どの立場で強く追及しているのかわからない取材などがあったと思いますし、今もあると思います。
例えば、よく言われるように、誰かが不倫したとかはどうでもいい話です。当事者間で話し合われればよいことで、外野が口を出すものでもないですし、ましてやそれを理由に攻撃することでもありません。
先日、「イッテQ」に4年ぶりに手越祐也さんが復活出演され高視聴率だったことが報じられた。個人として、同番組を視聴していないので、その質についてはわからないが、一部でその復活までの期間の長さについて話題になっていたので、その点について考えてみました。
これはコロナ禍に飲み会をしたということで謹慎し、同番組の復帰に4年を要したことに対し、軽微であれ犯罪を犯した人がより早く復帰していることを比較し、そんなに期間が必要だったのかという趣旨の話です。
同じ行動をしたにも関わらず、謹慎期間い違いがあるということは散見されますし、世間の非難の度合いにも違いがあるように思います。
気になるのはそもそもそこに判断基準はあるのか、というところです。
テレビ局として判断基準はあるのか、事務所としてあるのか。個人として基準はあるのか。
そこが一貫しているのであればいいと思います。
確かに、スポンサーがいて、ファンがいてという商売をしている以上、自身の世間的なイメージに配慮できないことは問題ですし、その人気やイメージに応じて仕事量や収入が増減することは当然です。
しかし、罪に対しての「罰」という点においては、フェアに決められるべきだと思います。
その点において、犯罪か否か、迷惑を掛けた範囲があると思いますし、わかりやすくフェアな基準ではないかと思います。
しかし、現在はむしろ感情が判断基準になっているように思います。感情で判断することを否定するのではありませんが、人を裁くという点においては、感情だけで裁くことは避けた方がいいのではないかと思います。
ましてや、何の責任を負うこともない立場の感情ですから。