復興とキリコ祭りの深い話(関係)

今回は復興を考えた場合の「地域とキリコの関係」について
前回のブログでも少し触れましたが、14日に寺家の漁師さんと色々と話をしたんですけど、実は地元の若い方(こうた君)も一緒に話をしていたんです。非常に有意義な話になったのでその紹介をしますね。


復興の絵を考えていました。後日紹介しますが、寺家の地元の方と東日本大震災の被災地である「気仙沼、大船渡、南三陸」に視察に行きます。詳細は次回をお楽しみに!!

 今回の能登半島の震災で過疎化に拍車がかかっていることは地元の人も十分に理解しているところで、これからどうしましょうという話になるわけです。外から来た人間は

集落が合併していくこと

を考えると思いますが、これが無理だろうということが分かりました。えぇぇぇーーー!!無理って言っても人がいないじゃん!って思いますよね?まあ一般的には集落や自治体の吸収合併をして自治をしやすいようにするのが普通ですけど、ここ寺家においては「キリコ」の存在が大きく簡単にはいかないのである。


これが寺家のキリコです。写真じゃわかりにくいですけど16Mくらい高さがあります。ビルの4階くらいの高さに相当するものですが、木で作り、全体に漆を塗って、装飾には金箔を使用している。てっぺん付近には龍の彫刻まで施している。何とも豪華仕様!
 しかし、この大きなものを作るには当然、多くの予算と想いと歴史と意地があります。寺家には4つの地域がある。なのでキリコも4つ。つまり、小さな集落にこんな豪華なものが1つずつあるということ。ブラッシュアップを繰り返して、補修したり、隣の集落のキリコに負けないように「張り合ってきた歴史」によって、今のキリコがある。相当なお金を集落の人間でかき集めてできたものなんですよ。これってすごい話で、自分の集落のキリコのために地元の人が出資してできたものなんですよね。結構な大金です。  町内会費何十万何百万とか言われているようなもので、ほかの地方ではまずありえない。こんな歴史があるので、復興のため集落を合併してくださいって言われても、「キリコはどうすんだ」って話になるわけです。このキリコって1つ何億って話です。歴史も深くて、キリコが寺家住民の生活そのものなんですね。だから地元の人もキリコ祭りは大事にしているし、この祭りを行う須須神社を大切にしている。この須須神社の在り方がよくわかったような気がします。


今回のキリコと住民の関係、そこから復興するということについてはちゃんと考えなきゃならないと思いました。簡単じゃない。キリコ祭りを外から見ているのと、実際にキリコ祭りを運用している現場は全く違う。安易な提案は地域の問題だけでなく、寺家の歴史や人生観を大きく否定することにもなりかねない。とはいえ、地元のこうたくんも言っていましたが「外からの人」を積極的に取り込んでいくべきだということは言っていました。歴史や風習はあったにせよ、キリコ祭りが無くなる方がイヤなんですよね。もちろん、今年は私も参加させていただきますが(笑) 地元の人が外からの人間を頼りにしてでもキリコ祭りはやりたいと思うことってすごく人間味があることですし、今回のキリコはいろんな意味で「想い、思い、重い、面い」キリコになるかもしれませんね(笑)


今回はここまで。こうた君にオープンチャットで少しお話してもらいましょうかね。キリコとは!!みたいな話を。

 http://オープンチャット「能登國 須須神社 寺家プロジェクト」 https://line.me/ti/g2/jDh7DWWFoACS0EOToWYjqg6BcxPZIW_RzmVLLg?utm_source=invitation&utm_medium=link_copy&utm_campaign=default

どなたでも参加できますのでお気軽に参加してくださいね

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