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殺生したのです

先日、部屋に一匹、小虫が入りこんだ。
両羽をブンブンさせながら、部屋の壁に止まり
また飛び立ち、そしてまた壁にへばりつくという
虫たちにとっては、あるある行動をくりかえしている。
私はその様を、少し離れているところで様子を伺い
これから奴をどうしようか、と考える。

おそらく、奴は数日前に台所で騒いでいた黒い羽虫である。
そのときも、同じリズムで同じ行動をしていて
警戒する私を見えているかのように
てめー、これ以上こっちに来たら殺すぜ、という
悪意しかない敵意を放っていた為、何もできずに退散した。


そして数日後、遂に私の部屋へとやって来たのだ。
しかし、奴はどう見ても、小さな羽虫で武器は羽しかない。
私は非力な老女だが、一応ヒトなのである、
ヒトが羽虫一匹に負けるはずないのだ。

しかし、無駄な殺生はよくない。
たしかに先日、全力で煽られもしたが、奴は奴の生涯がある
おそらく腹も減っているだろう、自由になりたいだろう。
屋外へと放つため、部屋の近くの小窓をそろりと開ける。
しかし、奴は一向に動かない、もう飛ぶ力もないのか
ただじっと部屋の壁に貼りついているだけだ。


さらに考える。
このままこの場所でフリーズされたら
私は今夜、気になって気になって、眠ることもできない。
寝込みを虫に襲われることは、もう嫌なのである。
かつてムカデに尻を嚙まれたあの日から
自分のなかでは、虫という虫が恐怖の対象でしかないのだ。

奴と同じように、こちらもフリーズしながら悩みに悩み
遂に決心した。
奴を星にする、と。
ハエ叩きで叩き殺すことは怖い、できない。
殺虫剤もなんだか気が引ける。
ならば、掃除機で吸い取る、これならばできるはず。
奴とある程度の距離をたもちながら
引力という不可抗力に任せれば、奴も思うはず、
是非もなし・・・

最小限の音で掃除機をセットし、奴に近づいてゆく。
5、4、3、2・・・
掃除機はけたたましく吠えた。
奴はあっけなく、ブラックホールの中へ消えていった

勝った、勝ったのだ、私は奴に勝ったのである。
虫恐怖症の老女が、完全勝利したのだ。
これは自分にしか分からない歓びだろうが、滑稽だろうが
私は大いに自分を褒めてやりたい、よく頑張った。
たしかに罪なき生命を星にしてしまった。
その代償は受ける覚悟である。
しかし、そうまでしてでも、私は己の「安心・安眠」を選ぶ
エゴに満ちた生きものなのだ、きっと。


そして現在。
私はたしかに安心・安眠を手に入れた。
罪なき命をひとつ、自分のために奪った。
ヒトの命ではないからいいじゃないか、
多くのヒトはそう思うのかもしれない。
しかし、なんともいえない罪悪感というモヤモヤは
今でも心にぴたりと張り付いている。
これが命の重さというものならば
これからも大いにモヤモヤし続けていこうと思う。
あの日のあの羽虫のことを思い出せなくなる日まで。

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