シミの悩み①
「シミ」とか「しわ」とか「乾燥」とか、顔面の悩みにはいろいろあり、年齢が上がるとそれはどれもがどれも当てはまるという感じ。
顔の造作(目が小さいとか、鼻が大きいとか)の問題については、30年40年50年と付き合っていますとそれほど気にならない、というか気にしても仕方ないというか、付き合う覚悟が定まるというか、もう「これが私」。
まさにThis is me.です。
特にシミだった。
しかし、造作とは裏腹に、厄介なのはシミやしわや乾燥やツヤがないなどなどの表面上の肌問題です。
これらは、仕方ないと諦めきれない何かがある。
例えば、シミならばビタミンCを飲めば、いや、もっとシミに特化したあの錠剤を飲めば、など、何らかの対処で改善するのではないか?というわずかな期待があるわけです。
しわもそう。乾燥もそう。
あの化粧水をビシャビシャにつけたら、翌朝は見違えるような肌になっているのではないか?
粉が吹いている頬も、眉間も、おでこも、高級ブランドのスキンケアアイテムを手に入れたら、悩みなど吹き飛ぶような効果が表れるのではないか?
しかしそれらはコストがかかります。
ちょっとやそっとで「よし!買おう!」という決意にまで至らず、心の中で迷ったり、諦めたり、希望を持ったり。
中でもシミというものは、自分で鏡を眺め、「いやあ、これは酷いわ」と思う状態が、人様から見てどのように見えているのか、それがよくわからず、行ったり来たりの振れ幅が大きくなりました。
コンシーラーを塗る
会社の同僚や友人たちが、ダイレクトに「すごいシミだね」と声を掛けてくることはまずありません。
「シミ濃くなってきてるね」という指摘はすべていつも家族から。
「ああ、やっぱり濃く見えているんだね、隠してるつもりなんだけども」
そう、ひそかに肩を落とすことが定期的にあり。
結局コンシーラーも、カバー力抜群と謳うねっとりとしたファンデーションも、叩いてもぼかしてもやはりシミは見えるのです。しかも、厚く塗ってしまうとなんとも野暮ったい感じでツヤなどという表現からはどんどん遠ざかり、薄く塗ってみればそれは「塗って隠す」ことにならず、もうさらけ出し状態。毎朝、時間がなくて慌てているときに、こんな面倒なことを日々繰り返しているのはなんともばからしいしむなしいなあ…と思っていました。
年齢と共にどんどん濃く広くなる
どちらかというと、運転することが多いので右頬の方が左よりもシミは濃く、気にするとさらに気になり、心身ともに老けていく速度が速くなるような気がしました。
シミを隠すという行為からもう解き放たれたい!
それには、シミを「消す」という強硬手段をとるしか、もう私に残された道はない…そう考え、次第に「シミをとる」ことが自分自身へのミッションとなりました。