わたしがうつ病になったわけ #4
小学校の低学年。
出血をともなうケガを負うほどのイジメにあっていたわたし。
が、しかし、本人はイジメにあっているとは気づいていなかったのです!
というのが前回までのはなし。
日々まったりと自分と楽しく対話しては、ニヘラと笑っていた小学校のわたし。
キャラクターは完全に天然でした。
通学は学校まで約3キロというなかなかな距離を歩いていたのですが、妄想の世界を飛び回っていたわたしには、至福の時間でした。
田舎の通学路は、毎日目新しい景色に満ちていました。
雨の次の日は、田んぼから出てきたカエルが道一面、どこを歩いたらいいの?と思うほどに、交通事故にあって潰れていたり(中には肉厚のウシガエルが含まれていたので、なかなかのスプラッタな現場でした)、本当に大きな桑の木があって、通学中の小学生が鈴なりに木にたかって、桑の実を食べまくっていました。(全員、手も口周りに血塗られているかのような様相。服にもシミを作り、怒られました)
田舎の通学路はワンダーランド!
ではあったのですが、一部不穏な空気をまとっている地区がありました。
負の結界が張られているような、空気がどんよりと湿って重苦しくなる場所。
わたしはその中を9年間歩き続けてきました。
というか、その空気をまとった地区のはずれに我が家があったのです。
なので、いくつか怪談話にあたるような出来事を経験することになりました。
そのいくつかを、元ホラー小説家(志望)のわたしがお聞かせしましょう。
鯉の斬殺死体
雨が降らない地方には、農業用の灌漑施設として、池が多数ある場所がある。
そこも同じような目的で作られた巨大なため池だった。
一度落ちたら生きては戻れぬ。
だから決して近づいてはならぬ。
事故を防ぐためであろうが、子どもたちに恐怖を植え付け、池に近づかないようにと教え込む言葉があった。
大人でも転がり落ちれば三回転はして怪我を負うような高さまで盛った土手。
その高い土手を登った先に池はあった。
巨大な池は、常に緑色の水を満々と讃え、黒い背びれの群れをなす鯉がその内を悠々と泳いでいた。
落ちればぬめる足場や高い土手に阻まれ、再び自らの足で地を踏みしめる事は難しいだろう。
そう予感させる様相だった。
もちろん池の周りにはフェンスが巡るされ、池に近づこうとするものを拒んでいた。
だが、そんな近づくものを拒絶する池に夜ごと挑戦するものでもあるのだろうか。
まだ朝靄が立ち込める中、足を踏み入れた池の周りの道には、異様な悪臭が立ち込めていた。
生臭い腐臭。
池の水自体も悪臭を放つことはあったが、明らかに濃度が違う。
生々しい腐った匂い。
やがて地面一面に飛び散る光るものが目に入るようになる。
ウロコだ。
半透明なウロコが一枚、二枚。
あるところには、ごっそりと抉り取られたように地面にぶちまけられている。
そして視線の先に、現れるのだ。
鯉の惨殺された死体が。
無惨に腹が食い破られ、なす術もなくその体を蹂躙されたのであろう、傷だらけの鯉の死体。
それが一日に1匹とは限らない。
わずか5分で通り過ぎることのできる道中で、二匹、三匹。
これが一定期間、毎日続くのだ。
一体誰の仕業なのか?
池の土手から水面までは、ゆうに1メートルはある。
猫?
足場はないが猫の身体能力で鯉を狩ることはできるのだろうか?
人間?
鯉を食べる文化もあるが、だったら、なぜ毎日道に殺した鯉の死体をさらしていくのか?
意味をなさない。
それとも……
謎の井戸
不穏な空気を醸し出していた一帯。
そこに多く存在していたのが、同じ苗字の一族だった。
K一族だ。
おそらく以前は一帯の大地主か何かだったのだろう。
どの家も大きな黒い門を有した白壁の塀で敷地を覆っていた。
そしてどの家にも共通していたものがあった。
井戸だ。
もう使われていないと分かる朽ちた蓋で封印を施しているかのような井戸。
野菜を洗う外水道の横にひっそりとある井戸だったり、木の陰で朽ちかけているものだったりとスタイルは様々だったが、大概は緑の苔に覆われ、その内側に秘密を宿しているような空気をまとっていたのだ。
その不穏ともいう空気を醸し出す原因は、どの井戸にも飾られていた文様だ。
少しずつ違いがあるのだが、緑色のタイルを組み合わせた印がついていたのだ。
まるで封印の呪文。
いつの日か、あの中から黒い長い髪の女が…とは当時は考えなかったけれど、不気味な場所であった。
ちなみに、この一族にはなぜか自死する方が多いという事実を付け加えておこう。
走り出すラジコンのトラック
この不気味極まりない地区には、さらに不気味な風習があった。
一週間交代で、ある紫の風呂敷で包まれた木箱が回ってくるのだ。
その中に入っているのは、仏像。
仏像を預かっている家は、その週に地区内で死者が出ると、いち早く連絡を受け取り、朝の5時に地区の家々の前を鐘を鳴らして歩かなければならないのだ。
さらに納骨の際には、高さ3メートルほどの大きな笹の枝を持って、墓まで遺族の前を先導して歩かなければならないという風習だ。
そんな仏像が我が家にやってきていたある夜。
夕飯の後の家族団らんの時間。
みんなでテレビを見ていた時に事件は起こったのだ。
突然祖父母のいる離れと居間をつなぐドアに向かって、弟のラジコンカーがうなりをあげて突進を始めたのだ。
ガンガンと音を立ててドアに体当たりするラジコンカー。
「うるさいから、やめなさい!」
母が弟を叱った。
だが、叱られた弟はきょとんとしている。
なぜなら、その手にラジコンのコントローラーはないからだ。
「電波の混線か?」
父が立ち上がってうなりを上げるラジコンカーを手に取った。
瞬間、ラジコンは動きを止め、居間に静けさが戻った。
だがその静けさが、恐怖の沈黙へと変わったのだ。
「このラジコン、電池入ってないんだけど…」
ラジコンは、コントローラーと車体の両方に電池が入っていて初めて動くはずなのだ。
そのラジコンが勝手に走り出した。
しかもラジコンカーの体当たりしていたドアの向こうにあったのが、例の仏像。
内心全員の心の中を冷や汗と悲鳴がほとばしった。
が、ここはなかったことにしよう。
そんな暗黙の了解で、全員がハハハと笑い、一切の疑問の一言も発することなく流したのであった。
その風習が今も残っているのかは、引っ越してしまった今となってはわからない。
あの土地に住んでいるときには気づかなかったが、離れてみると異常だった?という気がする。
でも、実は他にもちょっと変わった経験談があるのだが、それはまた別のお話である。
〈つづく〉
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