わたしがうつ病を克服した方法 ♯1
わたしの抱えていた症状
うつ病と言っても、その症状は多種多様。
一般的な気分が落ち込むというのは、一症状に過ぎないです。
というか、おそらく気分の落ち込みから、自分の病気に気づく人というのは、ほとんどいないと思います。
だって、落ち込むこと、気分が盛り上がらないなんてことは、誰にでもあることだからです。
そしてその程度が人よりキツイかどうかなんて、心の中の見せあいっこ機能がない人間には判断できないからです。
ちょっと疲れているから、こういうメンタル弱めの性格だから。
そうやって自分自身も自分の体のSOSを無視してしまうのです。
わたしもそのひとりでした。
わたしが自分の体の不調に気づき始めたのは、小学校4年生の時。
4月~5月にかけて、いわゆる無感動がやってくるのです。
当時は意味が分からず、「何をやっても楽しくない!大好きなご飯を食べても、心がハッピーにならない!」と、人知れず悩んだことがありました。
なんとかこの感情を解消しようと、お腹いっぱいになれば治るかもと、ご飯を食べまくり、食べ過ぎで吐いたことも。
季節の変化で受ける体のストレスで、脳の許容量がオーバーした瞬間だったのかもしれません。
次に現れた症状は肩こり、頭痛。
高校生の時は、とにかく毎日頭痛に悩まされ、鎮痛剤の常用者になってました。
高校2年の時に、指先が震えていることに気づき、「こ、これは薬中の症状なのでは…」と鎮痛剤断ち。
この鎮痛剤断ちは本当にキツかった。
鎮痛剤が体に入っている状態が、正常な状態だと体が思い込んでいるので、「早く必要なブツを体にいれろ!!」と体が要求しているのが伝わってくるのです。
飲まないと体が重くて、靴下一つはくにも、「よし!体よ、今こそ動いて靴下を手にとり、足を通すのだ!!」と気合いを入れないとならない。
わたしに優しく手を差し伸べようとするのは、ベッドだけ。
「いいのよ。疲れているのなら、横になりなさい」
ベッドさんの甘い誘惑に負け、わたしの居住場所はベッドの上になり、一時期ベッドの上は勉強道具やはさみなどの文房具、化粧品にヘアブラシと雑多なもので溢れかえっていました。
そしてその中で、器用に眠って、寝たまま片手を伸ばして必要なものを手に取る生活。
全くもって女子力ゼロでした。
そして大学受験でのストレスMAX時に、うつ病が本格的に始動をはじめたのです。
相変わらずの頭痛と肩こり。
あまりの頭の痛さに、自分で自分の頭に拳をゴリゴリと押しつけまくり、額に何個もたんこぶを作ったこともありました。
あまりの痛みに、発狂して机の上のものを全部床にたたき落とし、床で気絶していたことも。(あ~、ホラーの世界だわ)
次に来たのが不眠。連続で眠れるのは3時間が限度。その後は1時間に一回目が覚めるか、悪夢で起きる。
そんなだから、日中はいつもダルくて、やらなければならないことはたくさんあるのに、満足にできない。
無理をするとすぐに風邪をひいて、熱を出す。
生理は3ヶ月に一回ぐらいしかこない。くれば大出血で、殺人現場の死体になったような姿で目を覚ます。
激しいめまいに襲われて、病院でメニエール病と診断される。
さらに半年後に突発性難聴になり、さらに半年後に顎関節症で歯と歯の間が2,3ミリしか開かなくなる。
と、まぁいろんな症状を抱えていたわけです。
どれもこれも、根っこのとこにあったのはうつ病でした。
病院にいけば、内科では自律神経と言われ、耳鼻科に行けば、メニエールとか突発性難聴と病名がつく。
婦人科にいけば、なんと「気にするな」というお医者さんのお告げを頂くはめに。
最後に行き着いたのが心療内科。
ここでやっと、「うつ病です」と診断を受けることになるのです。
ここに行き着くまでに、わたしは10年の時間がかかっていました。
ここからわたしのうつ病との戦いが始まるわけです。
わたしがうつを退治するために、様々なことにトライしてきました。
そのどれもが効果があったと思います。
わたしの回復への道のりの、その時々に必要な段階まで、押し上げて次のステップへと背中を押してくれる存在でした。
思い描く回復の姿は、体に苦痛なんて一ミリもない、完璧な自分でしょう。
すぐにその最終形態まで変化することはできません。
でも、確実に一歩ずつ改善への道を歩むことはできます。
これからわたしが上げる方法を、試してみて、じっくり自分の体を観察してみてください。
焦らず、自分の変化を長い目で見て楽しむ気持ちでいてください。
毎日続けられなくたって、気にしないでいださい。
また元気になってやろうと思えたときに、戻ってきてやれば、前よりも楽に取り組めるようになっています。
では、わたしの取り組んだうつ病克服法を紹介していきます。